「そうだお金の勉強をしよう」シリーズの第2回目、日本資本主義の父と謳われる渋沢栄一さんから多くのことを学んでいきましょう
2021年の大河ドラマ、2024年には1万円紙幣の肖像に決まり、注目を集め始めている『渋沢栄一』氏
(「晴天を衝く」というタイトルは藍玉の商業の信州方面へ旅に出た時に、内山峡で読んだ漢詩の一説から来ている。「勢いは晴天を衝き、臂(ひじ)をふるって(壤って)躋る(のぼる)19歳の時の長編、石碑に)

1840年生まれ
実績;実はノーベル賞の候補にも2度上がったそうで、「日本の資本主義の父」とも称されるすごい人!実績は600社近くの企業に関わり、教育や福祉活動にも生涯にわたって力を注いだ。日本の近代化の礎を作った人。隠れた功労者
尊王攘夷主義者から、一橋家の家臣になり、さらに明治新政府の官僚、銀行創業者へと青年時代のうちに大きく立場を変えていった渋沢栄一。その根底には、常に国がどうあるべきか考え、自らそれを実現しようとする努力がありました。私たちは激動の時代に、日本の近代化の礎を作った渋沢栄一から、いまだ学ぶべき多くのことを見逃しているのではないでしょうか?
『お金儲けは汚いもの(卑しいもの)』?というバイアス(思い込み)にあなたはかかっていませんか?僕は完全にかかっていましたよ。そんな僕に渋沢先生は『商才と道徳は一体であるべきと』とても素晴らしいヒントを与えてくれました。”道義を伴った利益を追求せよ””自分より人を優先し、公益を第一にせよ”という2つの大きな骨組みの姿勢。
「論語と算盤」は1916年(大正5年)東亜堂書房から出版された。
この本の紹介は私のフィルターをとおしたスキミング(拾い読み)が入っていますので、あなたも是非、この良書を手にとってみてください。

参考文献;今こそ名著『論語と算盤』ーモラルと起業家精神ー
編訳;道添 進 2017年出版
Amazonで調べる↓
コンテンポラリー・クラシックス 論語と算盤 モラルと起業家精神 (Contemporary Classics 今こそ名著)それでは本書の内容に入っていきましょう!
渋沢栄一【そうだお金の勉強をしよう】02−3 『論語と算盤』:本のレビュー
2章 立志と学問
精神を若々しく保つ方法
交換教師のメービー教授の指摘「みんなが希望を持って学び、理想の国を作ることができるという信念をみんなが持っているように見える、日本人はこの国を大きく発展させる可能性を持っている。」悪いと思う点は「現実よりも、とにかく形式を重んじるというやり方だ。形式にこだわりすぎていろんな弊害が出ているようだ。国民性だとすれば、注意した方がいい。」と述べた。その理由は封建時代が長く続き、小さな藩同士までが睨み合い、天正の時代から戦国の世が続いていた。また「すぐムキになる、だがけろっと忘れてしまい、感情の起伏が激しい。もう少し忍耐力を養うべきではないか。」
私は文明化された老人になりたいと願っている。そのためには学問に励む他はない。精神を衰弱しないように。精神も揺るぎない存在でありたいと思っている。(私見;運動も精神を鍛えるために重要である)
今を大事にしよう
徳川時代の末ごろまで武士の教育と農工商に対する教育とはまったく区別されていた。庶民の寺子屋での教育は初歩的なもので事足りると考えたれていた。その後、自然と世の中の空気が変わってきた。「経世済民」を学んだ武士たちは、尊王攘夷を唱え、ついに明治維新の大改革を成し遂げたのである。
明治に入り「海外と交流していくためには、どうしても科学的な知識が必要だ」ということで、学校も生まれ、商才、学識ともに備わった人材が輩出されるようになったのである。それ以降わずか3、40年の短い間に、日本も外国に劣らないくらい物質文明が発達した。しかし、その間に大きな弊害が生まれた。理想が高く、大きな視野を身につけた人も少なくなかった。しかし、今日の人にはそれがない。経済力は積み重なっても、悲しいことに武士道や仁義、道徳というものが一掃されてしまったのだ。つまり精神教育が完全に衰退してしまったと思う。
問題提起;渋沢の危機意識;私も微力だが明治6年頃から文明の隆盛に全力を注いできた。幸いにも発展できた。しかしどういうわけか、人格においては、明治以前に比べ退化したと思う。いや、退化どころではない。消滅するのではないかと心配している。だから物質文明が進化した結果、精神の進歩を阻んだと思うのである。
私は、つねに精神と富の向上を進めることが必要だと信じている。人はこの点について揺るぎない信念を持たなくてはならない。
私は農家に生まれたから受けた教育も低かったが、幸いにも漢学を習得することができた。これによって、いわば信念を得ることができたのである。私は極楽も地獄も気にしない。ただ、現在において、正しいことを行えば人として立派だと信じている。
自ら箸を取ろう
周りの人材に恵まれていない青年もいるであろう。しかし、もしその人が手腕に長けていて優れた頭脳があれば、そんな縁故がなくても世間が放っておかない。どの業界も人が余っているほどだが、しかし先輩が「この人なら」と安心して仕事を任せられる人は少ない。優秀な人材なら、どこでも欲しがっている。それを食べるかどうかは箸を取る人次第なのだ。何か一つのことを成し遂げようとするものは、自分で箸を取らなければならないのである。一見つまらない仕事をさせられるとする、その真意は先輩の胸の内に預けておき、青年はただその与えられた仕事に全力で取り組めばよい。不平を言って去る人、力を抜く人、どんな些細な仕事でも完成させる。小事を粗末に扱うようなら、所詮、大事を成功させることはできない。このことは商売にも、軍略にも何をするにも、この考えでなくてはならない。
「千里のみちも一歩から」ということわざがある。大きなことも小さなことの積み重ね。これは真理である。どんな小さな仕事も軽蔑することなく、勤勉に、忠実に、誠意を込めて1つひとつ成し遂げなければならない。秀吉が信長から重く用いられた経緯もまさにそうだった。草履取りの仕事を大切に勤め、ついに大抜擢され、、、。だから受付でも、帳簿付けでも、与えられた仕事にその時の全力を出し切って取り組まない者は、名を上げたり出世したりという運を切り開くことなどできないのである。
この本の紹介は私のフィルターをとおしたスキミング(拾い読み)が入っていますので、あなたも是非、この良書を手にとってみてください。

参考文献;今こそ名著『論語と算盤』ーモラルと起業家精神ー
編訳;道添 進 2017年出版
Amazonで調べる↓
コンテンポラリー・クラシックス 論語と算盤 モラルと起業家精神 (Contemporary Classics 今こそ名著)
大きな志と小さな志とを調和させよう
大志:根幹となる志;私たち凡人は志を立てる際にとても迷いやすいものだ。あるいは目先の風潮、周囲の状況に振り回され、自分の本領を発揮できない分野へ乗り出すものも多いようだ。最初が肝心で、志を立てる際は熟慮を重ねる必要がある。まず頭を冷静にして自分の長所と短所はどんなところかを細かく比較しおてみることだ。そして1番の長所だと思えるところに向かって志を定めるのがよい。同時に、自分の境遇がその志を遂げられるかどうかを深く検討することが重要だ。一生を通じてやり遂げることができるという確かな見込み立って初めて、方針を決定するのがよい。
小志「小立志」;根幹となる志を立てたら、今度は枝葉となる小さな志を立て、日々実行できるようにすべきだろう。ポイントは、一生を通じて探究する立志に逸脱しない範囲で工夫することだ。小立志は常に変わりやすい性質のものだから、その影響で大きな立志を変えるようなことがあってはならない。2つが矛盾することは避けること、両者はお互いに調和し、一貫性を持つべきなのである。
私が日頃、処世の規範としている論語をもとに、孔子がどう志を立てていたかを推測してみたい「十有五にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず。50にして天命を知る・・・」30で立つことができ、40に到達してようやく立志が身を結んだと言えるだろう。学に志すと言った頃はまだ、幾分をの志は動揺していたようだ。しかし30歳になってほぼ決心が見え始め、40にして惑わなく(迷いなく)なった。という。
立志とはこのように人生にとって大切な出発点だ。立志の要点は、自分をよく知り、身の程を考え、それに応じて適切な方針を決定する意外にない。
君子の争いであるべきだ
もちろん好んで争いごとをはしないが、正しい道をあくまで進んで行こうとすれば、争いごとを避けることなどできないものだ。悪と争わず、道を譲ってしまうほどふがいない人間ではないつもりだ。人はどんなに丸くなっても、どこかに角がなくてはならない。古歌にも詠われている「あまり丸いとかえって転びやすい」ということになる。
私は小さいが、これでも若い頃、かなり武芸を仕込まれ、身体も鍛えていた。
老人であろうが、若者であろうが誰でもここだけは譲れないという「不円満」なところをぜひ持っていて欲しい。あまりにも円満すぎると「過ぎたるは及ばざるがごとし」と孔子が説いているように、人としてまったく品位のないものになる。
社会と学問との関係
学生時代と実社会
学問(科学)、学科はいろいろな分野に細分化されているが、全体像にも目を向け、大局を見誤らないように、自分の立場と相手の立場を相対的にみることを忘れてはならない。実社会、現実には予想外のものがたくさん存在している。地図でみるのと実際は違うのだ。予想外に至るところに困難な場所を発見する。もし、この時、十分に信念を持っておらず、大局を見る賢明さがないなら、失望して勇気も出ない。社会の物事は複雑で、どんなに前もって見聞きしていても、実際は意外なことの方が多い。
勇猛な心をいかに養成するか
活力がみなぎって、心が溌剌としていれば、おのずと大きな活動をすることができる。そのやり方を間違えるといけない。猛進する力が正義に基づいていれば、勢いがますます加速されるものだ。その正義を断行する勇気はどのように養えばよいのだろうか。➡️それは普段から、肉体の鍛錬を行うことだろう。(精神と肉体はつながっているから)武術の稽古や下腹部の鍛錬、は身体を健康にしてくれる。それだけでなく、精神をしっかりと鍛え、心身が一致した行動に導いてくれる。そこから自信が生まれ、勇猛心が向上する。
勇気を育むには;肉体の鍛錬ともに、心の修養を。読書をして歴史上の勇者の言動に感動して模範とするのもよい。また年長者の話をよく聞いたり、(メンターを持つことは有意義)正義感と自信を持って自らの「義」の道に進んで行くのだ。
ただ、注意すべきことがある。青年時代は血気にはやるあまり、見境を無くしたり、勇気の意味を履き違えたりするものだ。くれぐれも粗暴な行動を取らないようにしたい。品性が下劣なものは勇気ではない。
普段から心身の健全な発達を促進し、溌剌とした行動ができる活力を養うよう心がけなくでなくはならない。
一生をかけ歩む道を見つける
私は17歳の時は武士になりたいという志を立てた。そのころの農民、町民は世の中からほとんど人間以下の扱いを受け、無視されるという有様だった。(当時の身分制度)私はとても憤りを感じていた。同じ人間として生まれたからには、何がなんでも武士にならなくてはダメだと思ったのだ。それは単純なものではなかった、当時の政治体制を変えることはできないか、今でいう「政治家として国政に参加したい」という待望を抱いたのである。渋沢は大蔵省に勤務するまでの十数年は無意味に過ごしたようなものだ、思い出すたび、残念でならない、と後悔を漏らしている。
私本来の性格からすれば、政界に飛び込むことは、むしろ短所に向かっていくようなものだということに気付いた。同時に感じたのは
欧米諸国が発展したのは、商工業が盛んになったからだということだ。肩を並べる日がくるか?国家のために商工業の発展を図りたいと考えたのだ。つまり、ここで初めて実業界の人間になろうという決心がついたのだった。そしてこの時の立志は、40年余りの間一貫して変わることはなかった。思い返してみると、それ以前の立志は自分の才能に不相応な、身の程を知らないものだった。
この本の紹介は私のフィルターをとおしたスキミング(拾い読み)が入っていますので、あなたも是非、この良書を手にとってみてください。

参考文献;今こそ名著『論語と算盤』ーモラルと起業家精神ー
編訳;道添 進 2017年出版
Amazonで調べる↓
コンテンポラリー・クラシックス 論語と算盤 モラルと起業家精神 (Contemporary Classics 今こそ名著)
3章 常識と習慣
4章 仁義と富貴
5章 理想と迷信
6章 人格と修養
7章 算盤と権利
8章 実業と士道
9章 教育と情?
10章 成敗と運命
この本の紹介は私のフィルターをとおしたスキミング(拾い読み)が入っていますので、あなたも是非、この良書を手にとってみてください。

参考文献;今こそ名著『論語と算盤』ーモラルと起業家精神ー
編訳;道添 進 2017年出版
Amazonで調べる↓
コンテンポラリー・クラシックス 論語と算盤 モラルと起業家精神 (Contemporary Classics 今こそ名著)