【環境デザイン研究所】チラボン
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名言・格言

365日、日めくり[今日の名言・格言]7月

偉人、成功者と言われる人々の残した言葉には人生の教訓、エッセンスがギュッと詰め込まれているように感じ、心の琴線に触れることでしょう。

そんな世界中の方の『言霊』に簡単に触れられる有り難さ。

 

毎朝一つ、3分、世界の(人生の)成功者の言葉にふれよう。

”明日、死ぬかのように生きよ。

     永遠に生きるかのようにまなべ。”

(インド独立の父 マハトマ・ガンジー / 1869-1948) Wikipedia

365日、日めくり[今日の名言・格言]7月

1日・ソクラテス

『私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ』

『とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。』

 

2日・アインシュタイン

『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである』

「何かを学ぶのに、自分自身で経験する以上に良い方法はない」

 

3日・

『想像力は知識より重要である。知識に限界があるがために、想像力が世界をとりまき、発展を刺激しつづけ、進歩に息を吹き込みつづけているのだから』

『自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない』

『成功者になろうとするのではなく、むしろ価値のある人間になろうとしなさい』

4日・ソクラテス

『財産や栄誉を得ることのみ執心し、己の魂を善くする事に努めないのを恥とは思はないのか。』

 

 

5日・トルストイ

(ロシア文学を代表する文豪)

『戦いに勝つのは、必ず勝とうと硬く決心したものだ』

 

 

6日・ドラッカー

『成果を上げるものは時間からスタートする。何に時間を取られているかを明らかにすることからスタートする。次に時間を管理すべく、時間を奪おうとする非生産な要求を退ける。そして得られた時間をできるだけ大きくまとめる。

何に時間を使うかを考えよう。優先順位

7日・トルストイ

『人間は善良であればあるほど、他人の良さを認める。だがおろかで意地悪であればあるほど、他人の欠点を探す』

『すべての人は世界を変えたいと思っているが、自分を変えようとは思っていない』

 

8日・ソクラテス

『本をよく読む事で自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身につけたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。』

9日・フランシス・ベーコン

『優れた質問は、知恵の半分といえる』

(1561〜イギリスの神学者・哲学者・政治家)

 

10日・古代ローマの言葉

『旅には門がもっとも長い』ーー第一歩が1番難しいということ。逆に第一歩を踏み出してしまえば、案外スムーズに進むこともあるーー

『はじめたら半分なしたことになる、賢からんと努めよ』ーー「始めるまでが大変」というのも真理。何もはじめないまま終わる例は限りなくあるーー

『いつはじめるべきかを考えている間に、はじめるにはすでに遅くなっている』修辞学者マルクス・ファヴィウス

11日・サミュエル・スマイルズ

「真の謙虚さとは自分を正当に判断することであり、長所をすべて否定することではない』

 

12日・ローマの政治家 (ガイウス・サルスティウス・クリスプス)

『運はよりよき人に随伴す』

『運を他の人から学べ』ー運さえも学べる。運のいい人を見て、「あの人はなぜ運がいいのか」を考えればいいのである。

13日・ベンジャミン・フランクリン

もし、その人の頭の中の財布が空っぽなら、その人は何も手に入れることができない。なぜなら、誰もその人から得るものがないからだ。こうしてみると、人生において最大の投資法というのは、自分の勉強への投資であることがわかるだろう。そこに最高の利子を生む源があるからだ

14日・ビスマルク

『賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ』

「禍を受けたのちに愚者は賢くなる」古代ローマ

 

15日・孤独

孤独は、知恵の最善の乳母である』シュティルナー

『孤独は優れた精神の持ち主の運命である』アルトゥル・ショーペンハウアー

16日・ソクラテス

『あなたのあらゆる言動をほめる人は信頼に値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼に値する』

 

 

17日・ヴィクトル・ボルゲ

(ピアノ奏者・作曲家・指揮者/ デンマーク)

『笑いは、二人の人間をもっとも近づけてくれる』

「笑顔が気持ちよかったら、それはいい人だと思ってよい」ドストエフスキー

生まれつきのものか?。人気経営コンサルタント、トムピーターズは、人生で成功するためにと、毎朝、鏡の前で、笑顔の訓練をしたそうだ

 

18日・松下幸之助

『わるいときがすぎれば、よい時は必ずくる。おしなべて、事をなす人は、必ず時が来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時が来るのを待つ。

時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。だが何もせず待つことは僥倖(ぎょうこう)を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の体力もなく力をたくわえている。たくわえられた力がなければ、時がきてもことは成就しないだろう』

19日・論語・孔子

『孔子曰く、徳のある人、すなわち人格のすぐれた人は、決していつまでも孤立していないものだ。必ずその人の徳を頼って、その人のまわりに人が集まってくるのだ。』

「結局、リーダーの資質としては”徳(人格)の高さ”が必要。それは人によって訓練することが難しい」=(自ら学ぶしかない)ドラッカー

20日・渋沢栄一

『真似をするときは、その形ではなく、その心を真似するのが良い』

『信用はのれんや見た目から得られるものではなく、確固たる信念から生まれる』

『男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ』

 

21日・古代ローマ・ギリシャ

『仕事は性質になる』(古代ローマの詩人オヴィディウス)仕事はただの生活の糧ではなく、人間そのものをつくるものだ

『忍耐は禍の避難所である』

『その人は運そのものも服す』キケロの言葉。偉大なる人には運命自体が引っ張られるようになる、という意味。逆に言えば、運そのものが従うような人が本当の英雄なのである。

22日・二宮尊徳

『大きなことを成し遂げたいと欲する時には、小さい事を怠らずにきちんと仕上げていかねばならない。なぜなら小さいことが積もって大きな事となるからだ。』

 

23日・古代ローマの言葉

『人の命は短し、されど高潔なる死は不滅である』

孔子、釈迦、ソクラテス、菅原道真、聖徳太子、吉田松陰、渋沢栄一・・・・・。そんな人たちのことを忘れられないのは、死が、生き方が高潔だったから。

24日・ヘレンケラー

(教育者・社会福祉事業家/アメリカ)

『本物の人格は、安楽と平穏からはつくられることはない。挑戦と失敗の苦しみの苦しみの経験を通してのみ、精神は鍛えられ、夢は明確になり、希望が沸き、そして成功が手に入る。こうして初めて本物の人格が出来上がるのだ。』

まず目標を立て、挑戦することから始まる。本田宗一郎(ホンダ創業者)の言葉「私はたえず喜びを求めながら生きている。そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない」

25日・ソクラテス

『あなたのあらゆる言動をほめる人は信頼するに値しない
間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる』

 

26日・エルバート・ハーバード

(教育家・著述家/ アメリカ)

『他人に批判されたくないなら、何もやらず何も言わなければいい。しかし、それは生きていないのと同じではないか』

27日・渋沢栄一

『沈黙は必ずしも金であるとは限らない』

「口は禍の門である」と軽率に口を開けば禍を招くというのは確かにその通りではあるが、多弁は感心しないが、いうべきことは言わなくければならない、ともいっている。日米戦争も勝てる見込みはないと考えていた海軍が「戦争はできない」と必要なことを言わず、当時の首相、近衛文麿に是非の判断を任せるとして逃げた。それが日本に禍を招いたとも考えられる。    ー渡部昇一「渋沢栄一 人生百訓より」

28日・渋沢栄一

『迷信を信じるのは文明が開けていない証拠である』

名神の信仰は、学問がなく進歩しない時代に伴うもの、未開の国に行くほど迷信的な事実が数多く存在している。占いなども。真摯で質実な心があれば、神に祈る必要はない。と考えた。自分は神仏に何かを頼んだことはない。もちろん神前を通れば敬意を払うけれども、心から何かを誓うとか願うとかいうことは1回もないのだ。

渋沢は、自分は孔子とか釈迦とか耶蘇(キリスト)という人々を大哲として尊敬しているが、かといって、その言葉を一から十まで有難がってしまうと、結局それは迷信になってしまう、と言っている。信仰にも2種類あって、迷信を含んだ信仰と、道理に合いした信仰があるというのである。そして自分は道理に合いした信仰を持つ。すなわち『論語』を信ずるというわけである。

とにかく迷信は、今日の時代にはいらない。ただし信仰については、暫くこのまま疑問のままにしておきたいと、渋沢は非常に慎重な言い方をしている。これは自分の周りにいる信仰を持つ人たちへの配慮とも考えられる。

29日・渋沢栄一

『「天」の命ずるままに生きれば何も不安はない』

渋沢は「論語」に対する信奉、「論語」によって自己を高め、その精神を実業に生かしてきたことを明言している。しかし、宗教については「昔から宗教と名のつくものは一切嫌いである」とはっきりといっている。キリスト教だけでなく、仏教も好きではないというのである。バイブルも勧められて読んだこともあるが、心動かされることはなかったそうである。

自分が信ずるのは儒教でいうところの「天」というものであって、常に孔子の天明観を自分の心として、それを実践躬行してきたと述べている。天とは公正無私にして、絶大無辺の力を持つもので、人はその命ずるままに行うべきものと孔子は考え、渋沢もまた、それを信じたのである。だが天命を悟るとは非常に難しい。孔子ですら「五十にして天命を知る」といっているくらいである。

渋沢はまた、天と神の違いについて次のように述べている。日本では神様は非常に偉い人の霊を祀ったものである。だから「至誠神の如し」というような言い方になる。菅原道真が天満宮と祀られ、楠木正成が湊川神社と崇められるのはそういう理由である。一方、天というのはそういう神とは違い、より以上に偉大なもので、宇宙間における無類無比の力であると渋沢は考える。

渋沢の宗教嫌いの大きな理由は、その布教のやり方が気に喰わないということなのである。念仏を唱えれば大きな罪も消えて救われるというようにして人々をいざなったり、そういうやり方が好きではないというのである。

30日・ソクラテス

『よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ』

31日・孔子

(論語)

「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」

(学び続け、常に復習すれば知識が身につき、いつでも活用できるようになる。実に嬉しいことではないか。)

「朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。」

(自分を思い出して友人が遠くから訪ねてきてくれる。実に楽しいことではないか。)

「人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや。」

(世の中の人が自分のことを評価してくれなくても、怒ったりうらんだりしない。それが君子というものだ。)

 

日・ソクラテス

『子供は生まれたその日から、厳しくしつけなければならないものだ』

日・孔子

『己の欲せざるところは人に施すこと勿れ』