偉人、成功者と言われる人々の残した言葉には人生の教訓、エッセンスがギュッと詰め込まれているように感じ、心の琴線に触れることでしょう。
そんな世界中の方の『言霊』に簡単に触れられる有り難さ。
毎朝一つ、3分、世界の(人生の)成功者の言葉にふれよう。
”明日、死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのようにまなべ。”

(インド独立の父 マハトマ・ガンジー / 1869-1948) Wikipedia
365日、日めくり[今日の名言・格言]9月
1日・孔子
『丘や幸いなり、苟(いやし)くも過(あやま)ちあれば、人必らずこれを知る。』
私は幸せ者だね。もし私が過失を犯しても、誰かがきっと気づいて教えてくれるのだから。
過ちを指摘された時、人は不快に感じたりムッと感じる人の方が多いのではないでしょうか。
「あっ。そうでしたか指摘してくれてありがとう。言ってもらわなければ、ずっと間違っていたところでした。」怒らずに指摘を受け入れる。そうすると「あの人は器が大きいな」と言われる人物になれます。
大事なのは、ミスに気づかされたら、あるいは自分で気づいたら、体裁が悪いとか、プライドが許さないなどと思わずに、サッと誤ってしまうことです。「ああ、すみません、私の間違いでした」と。言い訳から入ると”火に油”を注ぐことも。こちらのミスを認めて「至りませんで、大変申し訳ありませんでした」とサッと謝った方が、相手も心を開いてくれるものです。
過ちというのは誰にでもあるもので、それを修正していくことこそ大事だということが本質です。「過ちを成長の糧にする」
顧客からのクレームや意見を吸い上げるシステムを作る。「お客様相談室」のような部署。「ミスや商品・サービスの不備を改善に結びつけよう」
クレームから生まれた新商品が大ヒットした、ということもあります。
孔子のように、ミスを指摘されて「過ちを正してくれる人がいるのは幸せだ」というところまで行き着くのは大変かもしれませんが、それは改善のチャンスなのです。
2日・孔子
「小人の過つや、必ず文(かざ)る」
小人は過失があると、決まって取り繕って(言い訳)ごまかそうとする。
「子曰わく、君子は諸れを己に求む。小人は諸れを人に求む」
君子はどんなことがあろうと、その責任・原因を自分に求める。小人は他人に責任を転嫁する。
プロであれば体調不良も体の不調も言い訳にはできない。(例えそうであっても口にはしない)
3日・孔子
『譬(たと)えば山を為(つく)るが如し。未だ一簣(いっき)をなさざるも、止むは吾が止むなり。
譬えば地を平にするが如し。一簣を覆(ふく)すと雖(いえど)も、進むは吾が往(ゆ)くなり。』
人が成長する道筋は、山を作るのに似ている。一かごの土を運ぶのを止めてしまえば、それは自分が止めたということだ。それはまた土地をならすのにも似ている。一かごの土を地にまいたならば、たった一かごといえども、それは自分が一歩進んだということだ。
・達成できる見通しをもって努力を続けていくことの大切さ。(積み重ねが目に見える形で現れることはモチベーションになる)
・「達成体験」が大事。次も同じように挑戦テーマができたときに、自信をもって挑める。
・続けられるような環境づくりをする。
反復練習によって「型」を身につける
ワザというのは2〜3万回が反復の目安になる。量的反復が質的変化をもたらします(良質転化)。反復練習によって「型」が出来上がると、そのワザを応用してできることが増えるので、この学習プログラムは覚えておいてください。(井上尚弥も基礎の反復練習が土台にある)(無意識に体が勝手に動く状態をいくつも作っておく)
4日・孔子
『苗にして秀でざるものあり。秀でて実らざるものあり』
苗のままで穂を出さない人がいるね。穂を出しても、実らせるところまでいかずに終わる人もいる。人格を完成させるまではあきらめずに、学に励むことが大切だ。
「ぼやぼやしていると、せっかくの才能が苗のままで終わっちゃうよ。穂が出たところで枯れちゃうよ」ということ。
ドラフト1位で入団した選手が戦略外通告を受ける事も、育成選手枠で入った選手が一軍で活躍する事もある。そこを左右するのは「適応力」という才能ではないかと思っている。
ひたすら努力を続けることができることが「適応力」。自分が置かれた状況をきちんと認識して、そこで自分がやるべきことは何かを明確に定めて、上に上がっていく努力を続ける能力を意味します。慢心や卑屈にならずに
田中投手と斎藤投手はどこに違いがあったのか?「斎藤選手は甲子園優勝、大学野球での活躍で心のどこかで満足してしまったのではないかと思う」
ようするに、才能は誰にでもある。本人の「適応力」の前段階に努力と意志を促す刺激として、上の人の若手を指導する力が必要だと思っている。上の人に恵まれなければ、穂も出ずに終わってしまう場合があります。いい先生、いいコーチ、いい上司に出会えば、若手はそこで刺激を受けて、やる気が出て、結果が出て、そうなると余計にやる気が出て、という好循環に入ることができます。
遺伝子の研究に取り組む村上和雄先生によると、天才も凡人も99%遺伝子はおなじだそうです。才能の違いは、その遺伝子がスイッチがオンするかどうか。
私たちは誰もが才能を持っているのですから、そのある・なしを問うより、そのDNAをスイッチオンさせようという意識を持つことの方が大事です。
5日・孔子
20代、30代で頑張る、土台作り
『後世畏るべし。
焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。
四十五十にして聞こゆること無くんば、
斯れ亦た畏るるに足らざるのみ』
自分より後に生まれた者たちに、畏れの気持ちを抱くのは当然だ。
これから成長する人が今の自分に及ばないと、どうしてわかるのか。
ただし四十、五十の年になっても評判が立たないような人はもう畏れるには足りない。
古代エジプトの時代から「最近の若者ときたら」というような言葉を発していたようです。
しかし孔子は「若い物を見くびってはいけないよ」と警告を発しています。
青年を貶める行為をしていないか?それは「嫉妬心」と「慢心」からきます。若手の力を尊重しながら仕事をしていく。
「三十代までにある程度がんばって、成長を形にしておかないと、四十、五十になってからがみじめだよ。もう頑張りはきかなくなるんだ」30代は伸び盛り。40代以降を実りあるものにしなくてはならない。
6日・
8日・孔子
『如之何、如之何と曰わざる者は、吾れ如之何とすること末(な)きのみ』
「これをどうすればよいか、どうすればいいか」と懸命に考えて問うてこない者は、私とてもどうすることもできない。
ちょっと困るとすぐに相談してくる人は、手がかかり過ぎるので、上を辟易とさせますが、1番いいのは、まず自分のなかである程度考えを煮詰めてから、判断できないことを上に相談することでしょう。有能な人は「これについて私はこう動いていますが、この点は先生が決定してください。資料はこれです。」というふうに話を持ってきてくれます。肝心なことを判断して、「あとはお願いね」と任せられるのです。
9日・孔子
『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』のくだり
『子貢問う師と商は孰(いず)れか賢(まさ)れる
子貢が「師(子張)と商(子夏)はどちらがすぐれていますか?」と尋ねた。
『師曰わく、師や過ぎたり、商や及ばず。
先生は、「何ごとにつけ師は行き過ぎていて、商は足りないね。」と言われた。
『曰く、然らば則ち師は愈(まさ)れるか。
子貢が「それでは師の方がすぐれているのですね。」というと
子曰わく、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし』
「行き過ぎも足りないのと同じことだ。中庸が大切なのだ。」と言われた。
「ちょうどいい加減(のライン)を知る」には、一度、ちょっとやり過ぎてみることも大事かもしれません。ちょっとやり過ぎて痛い目に遭えば、反省して少しずつ控えるようにもなるでしょう。同じ失敗をするにしても「及ばざる」よりも「過ぎたる」ほうが成長効果は高いと言えるでしょう。
10日・孔子 「生き方」
『己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ』
自分がされていやなことは、人にもしないようにしよう。
もし、自分がいじめられたり、人から無視されたら、誰だって本当にいやだと思うよね。だったら、相手の立場になって、人に意地悪をしたりウソをついたり、悪口を言わないようにしようと孔子先生は言っている。
いつも「自分がやられたらどうだろう?」と思って、「自分がやられていやなことは人にしないようにしよう」というのを一生のルールにできたら、それだけでその人は「君子」、つまり「立派な人」なんだ。これは簡単なようだけど、なかなかできることじゃないんだ。
反対に「自分がしてほしいことを、相手にしてあげよう」というのは通じないことが多々あるようだ。 もっとも典型的なのが男女間で、女性はこのような場合こうしてもらうことを望んでいるが、男性の場合はまったく逆のことをしてほしいと相手に望んでいるということが多々あるから。 「ベスト・パートナーになるために」で勉強しよう!
11日・孔子 「学び」
『故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る。』
温故知新
古いことをよく勉強したうえで、新しいことを知るのが大事なんだ。
昔のことを勉強するから、新しいことがわかるようになるんだ。
勉強というのは、「温故知新」といって、昔の人が積み上げた知恵や知識を学ぶことなんだ。昔のことで今に残っているものは、今も価値があるからこそ残っているんだ。
自分が新しく思いついたと思っていても、「ああ、前の人がやっていた」とわかることがある。だから、昔の人、先人のやったことをちゃんと学ばないとダメなんだ。その上で、今の時代のこともしれば万全だよ、と孔子先生は言っている。古いことをよく勉強して自分のものにすれば、ゼロからつくりだすより、もっとすごいことができるんだ。
孔子、ソクラテス、お釈迦様、イエス・キリスト、マハトマ・ガンジー、マザーテレサ・・・・・。昔の人が言っていたことをちゃんと理解すると、いろいろなことがわかってくるようになる。そうすると、自分の思い込みだけじゃなくて、ちゃんとした知識になっていく。学ぶということは歴史を知ることでもあるんだ。
12日・孔子 「人間関係」
『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如く』
切磋琢磨
これは、刀で切り、ヤスリで磋(す)り、琢(う)ち叩き、磨いて、玉や象牙をさらに美しくすること。
➡️そこから、仲間どうしが励まし合って向上することをいうようになった。互いに磨き合うライバルの存在。
スポーツや勉強で競い合っているけれど、相手を蹴落とそうなんて思っていなくて、相手が伸びれば自分も伸びるという関係。
一人だけの力ではなく、友人やライバル関係で高め合っていけば、もっとパワーが発揮されるようになるんだ。競い合って自分を磨けば伸びていくんだ。
哲学者のニーチェは、友達から憧れられる「超人」をめざして飛ぶ一本の矢になろうと言っている。競い合って自分をピカピカに磨けば、自分が大切に思えてくる。
13日・孔子 「生き方」
『吾が道は一以ってこれを貫く』
私の人生は1つのことで貫かれている。
(自分が人生で貫くことは「よりよく生きる」探究し、実践し、伝えること。)
エジソンやアインシュタインも、小さい頃から発見したり工夫したりすることが好きで、一生それを貫いた。明石家さんまさんも、小さい頃からクラスで人を笑わせるのが好きで、それを今も続けている。
例えば、野球で「バントだけはうまくなろう」「この曲だけは弾けるようにがんばろう」といった目標を定めるのもいい。
大事なことは「これ」と決めたら、それを貫く気持ちでやって、突き抜けたという充実感を経験することだ。一番よくないのは、あれもこれもと中途半端にかじることなんだ。
14日・孔子 「学び」
『過ちて改めざる、是を過ちと謂(い)う』
間違いをしても改めない、これを本当の間違いというんだ。
孔子先生は「自分のミスや過ちを人から指摘されるのは、とてもありがたいことだ」と言っている。それくらい、過ちに気づいたら直すことが大切なんだ。
僕は大学生に「修正力があれば生きていける。1回目に叱られるのは仕方ないけど、2度同じ間違いをしないように、間違いを直せる力をつけることが大事なんだ。」って言っている。
1回目や2回目は「自分の間違いを探す」ためなんだと考えよう。解き直しをして間違いをなくすために、何度も問題集をやる。東大に行く人は5周ぐらい同じ問題集をやっているんだ。
孔子先生が言っているように勉強はなんのためにやるのかというと、間違いを見つけて、同じ間違いをしないためにやっているんだ。キミがテストで間違ったのはチャンスなんだ。「間違いが見つかってラッキー!」と思おう。
同じミスを何度もくり返すと、誰も注意してくれなくなって、見捨てられてしまう。「直せれば、それは過ちとは言わない」と思って、修正力を身につけよう。
15日・孔子 「人間関係」
『義を見て為ざるは、勇無きなり』
やらなければいけないことを目の前にして何もしないのは臆病者なんだ。
もしジャイアンみたいな人が悪いことをしようとしていたら、「ジャイアンそれはいけないよ」というふうに、言いづらいけれども勇気を出して言わないと、いけないこともある。
困っている人を見て知らんぷりするのを「傍観(そばで見ている。見て見ぬ振り)」という。
18世期末のフランス革命も、フランスの人たちが勇気をふるって、それまでの王様の政治から自分たちが決めていく政治に変えたんだ。その精神が広まって、日本の憲法にも影響を与えている。アメリカのキング牧師は「黒人にも白人と同じ権利を与えよ!」と勇気をふるって活動した。そういうふうに。勇気のある人のチャレンジが世の中を変えてきたんだ。
◎16日・孔子 動画1つ目「生き方」
こんにちは、環境デザイン研究所です。
今回は、第一回目、孔子先生の教え『論語』から「生き方」の教え、「学び」の教えを2つ学んでいきましょう。参考書籍はこちら、斎藤孝先生が書いた『こども論語』筑摩書房より引用させていただきます。
1つ目は 『知 仁 勇』です。
「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」
どういう意味かというと
「頭が働く人は先が見えるので迷わない。
思いやりのある人は自分のことで悩まない。
勇気のある人は恐れない。」ということです。
著者の齋藤先生は、孔子先生が言った「知・仁・勇」は人間にとって一番大事なことだと思っているそうです。幕末の偉人、西郷隆盛も「知・仁・勇」が大事だと言っていました。
・『知』は知性、判断力です。
・『仁』は思いやり・優しさです。
・『勇』は勇気・行動のことです。
この3つがついていれば大丈夫。逆に言えば、3つのうちどれか1つが欠けてもダメなんだ。
・優しくて行動力があっても、判断力がないとダメだ。→なぜなら正しい行動にはつながらないから
・頭がよくても優しさがないと困るよ→思いやりがないと自分よがりに。人がついてこないし、好かれない
・頭もよくて優しいけれども、勇気がなくて行動できなければダメだ。わかるよね
右手をおでこに当ててみよう。この裏側にある前頭葉は判断をするところ。これが「知」。
そして、胸に手を当てる。ハート、思いやりや優しさの「仁」
おへその下あたりに手を当てる。勇気の「勇」(「胆力」)
孔子先生が「迷わず、悩まず、恐れず」と言っているように、この動作を声に出しながらやると、迷いや心配が吹っ切れます。
また、人にとって大事なことなので、「知・仁・勇」と思い出してみてください。
◎17日・孔子 「学び」
2つ目は「学び」の教えです。
『これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。これ知るなり』
どういう意味かというと、知っていることと、知らないことをはっきりさせる。それが”知っている”ということなんだ。
科学者というのは「ここまではわかっているけど、ここから先はわかりません」とはっきり言える人だ。この境が分かっていなかったら科学はできない。(これは良い戦略の診断にも通じる)
ニュートンは宇宙のことが当時の人たちのなかで一番分かっていたけれど、「自分は大きな真理という大きな海の浜辺で、貝殻で遊ぶ子供にすぎない」自分には知らないことがいっぱいあるといっています。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスも「自分は知らないということが分かっていることが大事だ」と言いました。
例えば、「過ちて改ざる、是を過ちと謂う」これを、どういう意味か言ってみて」と聞かれて、なんとなくわかっていても、自分の言葉で言えなければわかっていることにはならない。
多くの人はなんとなくわかったつもりになっているのではないだろうか?
自分は何がわかっていないかがわかれば、それだけでキミは進歩しているんだ。
今回はこれで終わります。
子供から大人の方まで、孔子先生の『論語』から「人の道」を学んでいきましょう。次回をお楽しみに!(今日も元気に行ってらっしゃい!)
18日・孔子 「人間関係」
『君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず』
立派な人はみんなと仲良くするけれど、同じことはしない。
ちっぽけな人はつるんで同じことをするけれど、心から親しくなることはない。
大事な友達であればあるほど、自分の意見をはっきり言う。ケンカや口論じゃなくて、「それは違うよ」とはっきり言える。それが「和して同ぜず」という意味なんだ。
意見を言うときは、人と全部同じである必要はない。「キミの意見はわかるけど、こんな見方もあるんじゃないかな」という言い方をすると、ケンカをしなくてすむ。
19日・孔子 「生き方の教え」
「匹夫も志を奪うべからざるなり」
心の中の志は誰にも奪うことはできないんだ。
志というのは、やり遂げようという意志だ。何かやってやろうというエネルギーが一番大事なんだ。だから、ちっぽけな自分かもしれないけれど、人として生まれたからには、全身を志の塊にしてぶつかっていこう。
「どんな大軍を率いる大将でもやっつけられることはあるけれど、人の心の中にある志だけは奪えない」と言っている。
もちろん失敗だってある。君が中学受験に失敗したとしよう。でも、チャレンジした君の努力は無駄にはならない。受験に向かってがんばった、この志はちゃんと残っている。
だから、これからいろんな失敗をするかもしれないけれど、やってやろうという志を大切にしよう。志は一番大事な宝物なんだ。
20日・孔子 「学び」の教え
『一を聞きて、十を知る』
1つのことを聞いて、10のことを理解しなさい。
孔子先生の弟子の顔淵(顔回)は一言聞いただけで、「これとこれもそうですね」と、いくつも思いつくことができた。孔子先生も「自分もかなわない」といったくらい顔淵は頭のいい人だった。弟子の子貢は「顔淵は一を聞いて十を知る」と言ったんだ。
頭がいいというのは、1つのことを聞いて「あれもそうだ、これもそうだ」と、たくさんのことを思いつけることなんだ。
「こうなったときはこうしよう」「これがダメなら、こっちはどうだろう。」と『推測する力』を働かせることができることだ。
孔子先生はテーブルを例にして「4つの隅のうちの1つを示したら、あとの3つの隅は自分で考えてわからないようではダメだ。」とも言っている。
一つの質問に最低でも答えを3つ思いつくようにしよう。「あれも、これも」と思いつく人になろう。
21日・孔子 人間関係の教え
『朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや』
友達が自分のことを思い出して遠くから訪ねてくれるのは、とても嬉しいことだ。
孔子先生のいう「朋」は一緒に学んだ仲間。友達は大人になってからもできるけれど、小中高校で一緒に学んだ仲間は特別なんだ。
友だちとは「何かを一生懸命にやった仲間」大人になって集まると、元気を注入してくれる刺激剤になり、もうひとつは「なんでも話せる、心を許せる仲間」自分が落ち込んだ時や、やる気をなくした時、一緒にいてくれるだけでホッとする。
いまキミの目の前にいる友だちは一生の友だちとなるんだ!
22日・孔子 「生き方」の教え
『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』
朝に正しい道を知ったら、その日の晩に死んでもかまわない。
孔子先生が言っているのは、『人生の道』なんだ。
孔子先生は本当の「道」って何だろう、何だろう?と問い続けた人だった。
「正しい道を知ることができたら、その日の晩に死んでもいい」というくらいの気持ちで、一生懸命に自分が生きる道を求め続けた人だったんだ。
日本人は剣道、柔道、茶道、あるいは野球道なんていう風に「道」をつけるのが好きなんだ。剣なのに何で「道」なのか?それは剣術をやることが立派な人間をつくる「道」になるからなんだ。
大切なのは、正しい道を求めて生き続けて、なかなか答えが出ないからといって途中で投げ出さないこと。この「道」を意識すると、「道」に外れた事はやってはいけないとわかるし、自分がやるべきことも見えてくるはず。
◎23日・孔子 「学び」の教え
知・好・楽
『これを知るものはこれを好むものに如かず。これを好むものはこれを楽しむに如かず』
知っているというのは、好きでやっているのにはかなわない。好きでやるのは楽しんでやるのにかなわない。
孔子先生は学ぶことを「知る」「好む」「楽しむ」の3段階で言い表している。音楽を知っている人と音楽を好きな人とくらべたら、好きな人の方が音楽に入り込んでいる。でも、好きを超えて楽しくてしょうがないとなったら、その方が上なんだ。勉強も同じだ。勉強が楽しくてタマラなくなっている人がいたら最強だ。
そうなると、どんな努力も苦に感じなくなる。山登りは、楽をしすぎるたらつまらないように、「苦しいけれども楽しい」という感覚が大事なんだ。そうすると充実感が生まれる。
楽しくてしかたがないとなったら最強だ!
◎24日・孔子 「人間関係」の教え
『人の己れを知らざることを患(うれ)えず、
己れの能なきを患う』
周りの人が自分を認めてくれないことを気にするよりも、
自分にはまだ能力が足りていないことを気にかけなさい。
実力がちゃんと評価されないのは苦しいことだと思う。でも自分が思っている実力って本当の実力かどうかわからないことがある。
自分たちの発表するもの、例えば、音楽の録画やデモテープを撮ってみたり、格闘技やスポーツなんかをやっている人は、それを録画して見直すと、自分では上手にやっていたつもりが、こんなにヘタだったんだとびっくりすることがある。
これを「自己客観視」という。自分自身を外から客観的に見るということ。これができるようになると、実際より自分の力を大きく思っていることがよくあります。
だから、評価してもらえないと人のせいにしている時間があったら、実力が足りないのかもしれないと思って努力する方が進歩するよ。
努力次第で「知性」も「精神(心)」も「体の力」も鍛えることができる!。
25日・孔子
子路が先生に、「人から善いことを聞いたならば、すぐにそれを行った方がいいでしょうか?」とお尋ねすると、先生はこういわれた。
「家には父や兄がおられるのだから、その意見を聞くべきだ。すぐに行うのはよくない。」
冉有が、同じ質問を先生にした。先生は「善いことを聞いたら、すぐに行いなさい。」といわれた。
公西華がたずねた。「先生は二人の同じ質問に対して、異なる答えをおっしゃいました。私は迷ってしまいます。」
先生はいわれた。「求(冉有)は消極的だから、はげましたのだ。由(子路)はとかくやり過ぎるから、おさえるようにああ言ったのだ。
それぞれの弟子たちの性質・個性に合わせ、効果的な声の掛け方を行っていることがうかがえるシーンです。また、こういうやりとりで、もうひとつ感心するのは、孔子が言葉を返すときにあまり考え込んだ形跡がないことです。
スッと言葉が出てくる。これは、孔子がふだんから弟子一人ひとりをよほどしっかりと見ていたことを意味するに違いありません。
26日・孔子
顔淵(顔回)と季路(子路)がおそばにいたとき、先生が「おまえたちの志を言ってごら。」といわれた。
子路は、「自分の馬車や毛皮の外套を友と共有し、友がそれをダメにしてもうらまないようでありたいです。」といった。
顔回は自分の善いところを誇らず、人につらいことをおしつけないようでありたいと思います。」といった。
子路が。「どうか先生のお志をお聞かせください。」というと、先生はこういわれた。
「老人には安心されるよう、友人には信頼されるよう、若い人には慕われるようでありたいね。」【老者はこれを安じ、朋友はこれを信じ、少者はこれを懐くけん】
「私の志はこれだ!」と、不特定多数に宣言するわけではなく、子路と顔回という最も愛する弟子たちとの会話の中で、事前な感じで自分の志を語り出す。
この言葉はその場でスッと出てきていると思うのですが、実に自然で偉ぶることもなく、しかも温かく具体的である。
このように『論語』の言葉は、弟子たちや状況との「つながり」の中で語られ、しかもそこで語り出された徳についての内容が、また、ほかの言葉とからみあってますます豊かな世界を形作っていくのです。
27日・孔子 生き方の教え