偉人、成功者と言われる人々の残した言葉には人生の教訓、エッセンスがギュッと詰め込まれているように感じ、心の琴線に触れることでしょう。
そんな世界中の方の『言霊』に簡単に触れられる有り難さ。
毎朝一つ、3分、世界の(人生の)成功者の言葉にふれよう。
”明日、死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのようにまなべ。”

(インド独立の父 マハトマ・ガンジー / 1869-1948) Wikipedia
365日、日めくり[今日の名言・格言]8月
1日・孔子

(論語)
「学んで思わざれば則ちくらし
思うて学ばざれば則ちあやうし」
【訳】外からいくら知識や情報を得ても自分で考えなければ、本当にはわからない。
知識/情報を得るだけでは不十分で、自ら考え、受け身で与えられるままではなく、能動的に(求めて)自ら考え、また何度も繰り返し思い出したり、実践することが大事です。
逆に、自分で考えるだけで外から学ばなければ、独断的になってしまう危険がある。がが
学ぶことと考えることを両輪にして仕事をしなさい、生きなさい。行動力の伴う知識を。
(関係ないところはどんどん飛ばし1冊30分でもいい、週に2冊、年間100冊は読み「自分の仕事に引き付けて読む」ことで30代で突き抜けよう。齋藤 孝)
2日・孔子(論語)
『子曰わく、由(ゆう)よ、女(なんじに)にこれを知ること誨(おし)えんか』
子路(由)よ、お前に「知っている」とはどういうことかを教えよう。
『これを知るをこれを知るとなし』
はっきりわかっていることだけを「知っている」とし、
『知らざるを知らざると為せ』
よく知らないことは「知らない」とする
『これ知るなり』
このように「知っている」と「知らない」の間に明確な境界線が引けることを、本当に「知っている」という。
解説;「なんでも知っている気になっていないか?」「なんだって、やればできると思い込んでいないか?
たとえば科学者の仕事は、一生かけて「知っていること」と「知らないこと」の間にある境界線を少しずつ「知っていること」の方へ動かしているようなものです。言い換えれば「知らないこと」が何かをちゃんと認識して、「知っていること」を増やしていく作業です。
仕事のできる人は、自分が何ができないのか、何ができるかの境界線を意識でき、それを動かしながら自らの力量を伸ばしていける人。
3日・孔子(論語)
今回の言葉は子張という若い弟子が「先生、いいお金をもらえるにはどうしたらいいですかね」と気楽に尋ねたときの孔子の答えである。
『多くを聞きて疑わしを闕(か)き、慎みて其の余りを言えば、則ち尤め寡なし(とがめすくなし)』
たくさんのことを聞いて疑問点を正し、少しでもこれはあやしいと思うことは口にしないようにすれば、人からとがめられることは少なくなる
『多くを見て殆うきを闕き、慎みて其の余りを行えば、則ち悔寡なし』
たくさんのことを見て参考にし、これは危ないと思ったことはやらず、それ以外のことだけを慎重にやるようにすれば、後悔は少なくなる。
『言に尤寡く、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り』
発言に間違いが少なく、行動に悔いることが少なくなれば、そうした人間的成長それ自身のなかに、すでに「報酬」があると言えよう。
解説;報酬は信用を形にしたもの。この言葉は子張という若い弟子が「先生、いいお金をもらえるにはどうしたらいいですかね」と気楽に尋ねたときの孔子の答えである。「慎重に確実に仕事をして信用を積み重ねていくことが報酬という形になる」ということです。
情報の流通量が爆発的に増えている現代において、情報は得ることよりも吟味することが大事といえます、今まで以上に。あやふやな情報に振り回され、慎重さに欠け、いい加減なことを言っていると信用を失う。逆に「情報を吟味する」多くの情報から疑わしいものや危ういものを除く。そういう日々の積み重ねが信用になり、ステップアップに繋がります。30代ともなれば会議での発言の質も問われるので確実なことを言えるように。報酬というのは、確実な仕事をする人に対する信用を形にしたものなのです。
4日・孔子(論語)
『朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可なり』
訳;朝、正しく生きる道がわかったら、その日の晩に死んでもいい。
解説;「死んでもいい」くらいの覚悟で一流に学ぶ。
「仕事を究める」とは仕事の本質をつかむこと。しかし自分一人の頭で考えたところで知れている。一流の人に学びたい。「死んでも学びとるぞ」という強い気持ちでぶつかっていく。「学ぶ覚悟」が話を聞く姿勢に現れていると、一流の人も「よし、大事なことを教えてやろう」という気持ちになるものです。
5日・孔子・(論語)
『顔回(がんかい)なるものあり、学を好む』
顔回というものがいて、本当の学問好きであった。
『怒りを遷さず、過ちを弐(ふた)たびせず』
怒って八つ当たりすることも、同じ過ちを二度することもなかった。
『不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し』
不幸にして短命で亡くなり、今は学問好きと言えるほどのものは門下にはいない
『未だ学を好むものを聞かざるなり。』
世の中でも顔回ほど学問好きという者は聞いたことがない。
解説;顔回のように、自分の感情をコントロールできて、修正力があってミスを繰り返さない。そういう人はかわいがられます。真摯に学ぼうとする向上心があるからです。ただ顔回には、学を好むゆえに報酬を求めないところがあり、それで命を縮めた部分もあります。
組織というのは、真ん中に一人、向上心のある人がいると、空気がガラリと違ってきます。周囲の人が感化されて、職場に活気がみなぎってくるのです。30代はリーダーとしての資質を磨く時期でもあるので、自らの向上心でみんなを引っ張っていく気概が欲しいところ。自分が明るく前向きな雰囲気にしていこうと努めてください。
6日・孔子(論語)
『これを知るものはこれを好むものに如かず』
学ぶことにおいて、知っているだけでは好むには及ばない。
『これを好むものはこれを楽しむものに如かず』
また、学問を好む者は、学問を楽しむ者には及ばない
解説;好きより、楽しんでいる方が勝るんですね。また、緊張やプレッシャーも楽しめれば。積極的に仕事を”食って”いく、それをいかにも楽しそうに。三十代ががんばらない国は国全体が衰えていきます。職場への影響も大きい。
7日・孔子(論語)
『憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず』
わかりたいのにわからず、悶々としているようでなければ、指導はしない。
(言いたくてもうまく表現できないようでなければ、はっきり言えるように指導しない。自ら求めないものに教えてもしかたがないのだ。)
『一隅に挙げてこれを示し、』
四隅のあるものの一隅を示したら、
『三隅を以って反えらざれば、則ち復たせざるなり。』
他の三隅を推測できるようでなければ、もう一度教えはしない。類推してわかろうとする気構えのない者はまだ教わる水準に達していない。教えを受けるには受けるなりの素地が必要なのだ』
解説;上手に教わるには「発憤」が必要。「発憤」とは興奮して心がワクワク、ドキドキする状態を意味します。また、一つ聞いたら、二つ、三つのことを理解、類推、発想しながら話を聞く姿勢、「受け身の学習」ではなく学びに対する積極性が必要。
8日・ソクラテス
『子供は生まれたその日から、厳しくしつけなければならないものだ』
9日・孔子
『己の欲せざるところは人に施すこと勿れ』
10日・
11日・孔子(論文)
『学は及ばざるが如くするも、』
学問は際限なく追い求め、
『猶おこれを失わんことを恐る』
しかも学んだことを忘れてはいないかを恐る。そんな心がまえで努めなくてはいけない。
解説;王貞治さんは現役時代、シーズンが始まる前には決まって「一本もホームランが打てなかったらどうしよう」と悩んだそうです。圧倒的な実力があるにもかかわらず。恐れにも似た気持ちがあったからこそ、より高いレベルを目指して日々たゆまず練習に励んだのでしょう。特に若いうちは「自分はまだまだだ。このままではダメになる。もっともっと」と際限なく目標へ、あるいは奥深い所へ持っていく姿勢が必要。
「恐れ」とは緊張感のこと。 「すごい人」の刺激を求める。(ゲーテ、ドストエフスキー、フロイト、ニーチェ、吉田松蔭)「こういうすごい人がいるんだよ」と周囲に話すと、より刺激が長続きするでしょう。
12日・孔子(論語)
『性、相い近し。習えば、相い遠し』
人は生まれたときは互いに似ていて差はない。しかし、学ぶか学ばないかによって善にも悪にもなり、差が広がって互いに遠くへだたる。
解説;人は、学びの有無によって差が出る。自分を伸ばすには「環境選び」が重要。新しいステージを自ら求める。やったことのない新しい仕事にシフト「いまの仕事は面白くないからイヤだ」ではなく「自分を伸ばすためにチャレンジしたい」と前向きにお願い。「この仕事をやってみたいので、いまの仕事は後輩に任せてもいいですか?」自分に才能があるかどうかを問うより、むしろ習慣を変えてステップアップしていくことを考えた方がいい。
需要に合わせて自分を変化させる;自分がやりたいことをやったがために失敗した、というケースはよくあります。漫画家やミュージシャンによくあるのは、ヒットを飛ばして、「さて、そろそろ自分の作りたい作品を手がけよう」となったときに、一気に人気が落ちていくケースです。そういうのを見ながら私はいつも「だから本人がやりたいことだけをやらせちゃダメなんだよな」と残念に思っています。
あらゆる仕事は需要で成り立っているので、自分のやりたいことには需要がなかった、ということは意外と多いのです。自分にはどんな仕事が向いているのか、あまり自分の思いにこだわらず、先見の明のある人に決めてもらうのもいい方法でしょう(齋藤 孝)
13日・孔子(論語)
『吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ
四十にして迷わず
五十にして天命を知る』
私は15歳で学問に志した。30歳で独り立ちした。40歳になって迷わなくなり、50歳で天命を知った。
14日・孔子(論語)
『人の生くるは直し。
人が生きていくには、まっすぐであることが大切だ。
『これを罔(し)いて生くるは、
このまっすぐさをなくしても生きていられるとすれば、
『幸にして免るるなり』
それはたまたま助かっているだけのことだ。
「直し」とは「まっすぐで素直、正直なこと」。迷ったときは「まっすぐ」を意識してみる。結婚も収入が少ないから二の足を踏む気持ちはわかりますが、私は無職時代に結婚しましたが、「結婚して一人前になる」道もあります。生命の循環にまっすぐ、というのも悪くないと思います。(齋藤孝氏)
15日・孔子(論語)
『甚だしいかな、吾が衰えたるや
ひどいものだね、私の気力の衰えも。
『久し、吾れ復た夢に周公を見ず』
もう長いこと、夢で周公を見ることがなくなった。若いころは夢にまで見てあこがれていたというのに。
解説;周公は周王朝の文化を創建した人で、孔子の生まれた魯の国の始祖でもありました。その周公に、若い孔子はあこがれていました。そしてその周公の行った政治や儀式などに人心を整えることの理想を求め、それをもう一度実現しようとしました。周公が夢に出てくるほどに、がんばっていたのです。孔子はもちろん周公には会ったこともありませんでしたが、周公をお手本とし「自分も周公のようでありたい」と思って、努力を続けました。芸術家のミケランジェロも古代ギリシア彫刻を見て「ああいうものを作りたい。でも自分にはまだまだかなわない、かなわない」と言い続けていました。そもそも理想とするもののレベルが高いので、努力には際限がない。
夢に見るぐらい仕事をするというのは、意識の量、仕事に注いでいるエネルギーが無意識のレベルまで沁み込んでいっているということ。
16日・孔子(論語)
学問を修めるとは?
『道に志し、徳に拠り、仁に拠り、藝に遊ぶ』
正しい【道】を志し、身につけた【徳】を拠りどころとし、私欲のない【仁】の心に沿って、礼・楽・射・御・書・数のような教養を楽しみ、その幅を広げる。学問を修めるとはそういうことだ。
その「道に志す」という意識を持って仕事に取り組むのがいい。強い志が自分を辿りつきたい境地へと牽引してくれるはずです。孔子は「道徳観を拠りどころにしなさい」と言っています。
昔は『論語』に由来する「仁義礼智」のような”精神の練習メニュー”があって、明確に徳を意識して行動していました。そういう感覚を持つといいでしょう。➡️詳しく知りたい
「藝に遊ぶ」の藝とは「教養」と捉えられます。何かをする時でも(TVをみる時でも)、何かプロの技術を学ぶ視点を入れてみる。教養のある遊び方で自分を伸ばす。
17日・孔子(論語)
『蓋し知らずしてこれを作る者あらん。我れは是れ無きなり』
本当に道理を知っているわけでもないのに勝手に創作する者がいるが、私はそんなことはしない。
『多くを聞きて其の善き者を択びてこれに従い』
できるだけたくさん聞いてその中から善いものを選んで、それに従い
『多くを見てこれを識すは、知るの次ぎなり』
たくさん見て記憶しておくようにする。真に道理を知ることは難しいが、これならばできる。
解説;人生は知識・見聞・経験を広げていくプロセスそのものです。「知る」ことの価値を否定すると、生きる意味がわからなくなってしまいます。
過去の蓄積を知ることの意味;人生も仕事も、判断することの連続です。そのときに多くのことを知っていないと、それだけ選択肢が少ないわけですから、最善の行動を取ることができません。そんな状態で、仕事で独創性を発揮しようなど、できません。これまでにない新しいものを創り出すには、多くを知っていることが大前提なのです。
たとえばろくに世界文学も読まずに「作家になりたい」などと平気でいうようなことです。いつの時代も作家たちは古今東西の世界文学をたくさん読んで、独自の小説を書くことをしてきました。だからこそ文学は発展してきました。それはあらゆるジャンルの仕事に共通し、過去の素晴らしい仕事の延長線上に今の自分の仕事があることを意識して、改善や工夫を加えながら、仕事の質を高め、バリエーションを増やしていくことができる。
コピーライター中畑貴志さんの採用面接「あなたがいいと思うコピーを十個言ってください」勉強しているか、興味があるか、センスがあるか?。多くを知り、相場を知ることは、仕事をする基本とも言えるものでしょう。
18日・孔子(論語)
『三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。』
長年学問をしていて、官職を得て俸給をもらおうとしない人はなかなかいるものではない。ひたすらに学問に打ち込む人がもっと出てきてほしいところだが。
解説;この言葉は、多くの人が焦って労働に対価を求めようとする、その息の浅さを孔子が注意しているものです。もちろん、働けば報酬を得るのは当たり前なのですが、そればかり考えていると、学ぶことがおろそかになるというのです。
ユダヤ人の言葉にも「二十代・三十代の若いうちは、儲けることを考えないで、自分に投資し続けよ。そうやって努力していれば四十代以降に花開く。若い時代の薄給を一気に回収して余りある大きな報酬が得られる」というものがあります。三十代の前半くらいまでを自分の土台づくりに当てようと決めれば、報酬の多い少ないを気にして焦ることはなくなります。
実際、労働対価を視野の外に置き、学ぶことに軸足を置いて仕事を続けていると、そこで得た知識・経験が後で生きてくることは多いような気がします。目先の利益にとらわれず、勉強を徹底的にやる。若い時は特に賃金より自分への投資(経験値)になるかを意識する。「経験値が報酬だ」と考えると、姿勢が前向きになります。
19日・孔子(論語)
『知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず』
知者は迷いがない、人格の優れた仁者は憂いがない、勇者は恐れがない。
解説;「知・仁・勇」を人間性の柱にする。この3つの徳を人生の柱にして、バランスをとって行動するよう心がけると、人生も仕事もうまくいきます。
知力が優れている人は頭の中の整理ができている;いろんな知識が頭のなかできちんと整理されている。だから、論理的に話すこともできるし、判断に迷うこともあまりないのです。この「頭の中を整理する」という感覚は、非常に大事です。仕事の優先順位を決めるにしろ、さまざまな考え方を類型立てながら論理を組み立てるにしろ、整理と分析がされなければ判断力の発揮しようにもありません。逆に言えば、判断力は頭の整理によって生まれる、ということ。また人間関係でも、いろいろと問題が生じるのはたいていの場合、頭の整理不足が原因です。図にして書いてみると、思考がくっきりします。
「仁者」は人に対する思いやりのある人を意味します。例えば俳優の高倉健さんのような人でしょう。彼は「映画はスタッフのものです。主役の1番楽している自分が1番目立って、いい思いをするのは申し訳ない。若いうちはわからなかったけど、支えてくれるスタッフの情熱で映画ができている気持ちが、年々強くなりました。」
そこにはまた、寛容の心というものもあります。少々のことは「まあ、いいか」と許していける心の余裕ですね。周囲への気づかいと寛容さが自分のストレスを減らします。人は自分の思い道理にならないことがあると、憂えるものです。それは人に対して寛容ではないところから生じます。「まあ、いいか」とつぶやいてみると、ちょっと気持ちがホッとします。
少量の勇気が悩みの突破口を開く;迷った時に行動する、これも勇です。実験精神も勇。誰かがいじめられている時、傍観者にならずに止めに入る。不正に直面したときに、見過ごさずに意見を具申する。現代ならば「公共心」と言い換えてもいいでしょう。
20日・孔子(論語)
『中庸の徳たるや、其れに至れるかな。民鮮(たみすく)なきこと久し』
過不足なく極端に走らない。<中庸>の徳は、最上のものだね。けれども残念ながら、人々が中庸の徳を失って久しい。
解説;何事もバランスが大事。「其れに至れるかな」と言うくらい、「中庸の徳」は大事なものなのです。これからの人生の指針として「中庸」という言葉を覚えておくといいでしょう。
ハイレベルな中庸
柔道でオリンピック三連覇を果たした野村忠宏さんは「自分は非常に臆病で、負けた時のことばかり考える」という。不安がたくさんあればこそ、「こうしたら、こうやられる」というマイナス局面を想定し、勝つための守りや攻めをシュミレーションしながら練習を重ねる。すると、いざ本番の畳に上がる時には「今メダルが似合うのは自分しかいない」と信じて試合に望むことができるそうです。これはものすごく極端なようですが、実はハイレベルな中庸です。極端なところを行ったり来たりしながら、高いレベルのところでバランスをとっているわけです。絶妙なバランスの取れるところを探す作業そのものが自分のワザを上げていくプロセスになります。
「中庸」について、アリストテレスも『二コマコス論理学』の中で「超過と不足の間に絶妙のものがある」と。そういう”ヤジロベエ感覚”のようなもので判断していくと、”中庸センス”が磨かれます。
21日・孔子(論語)
『巧言令色、鮮なし仁』
口ばかりうまくて、外見を善人らしく取り繕う者には、ほとんど<仁>はないものだ。
調子のいいことばかりペラペラしゃべる人は誠実さに欠けるから、孔子は好きではなかったのでしょう。
「子路第十三 二七」には「剛・毅・木・訥、仁に近し」欲に左右されない<剛>志があり、勇敢な<毅>、かざりけがなく質実な<木>、心に思うところはあるが口下手な<訥>。この4つの資質は<仁>に近い。
質朴で無口な人に信を置いていることがうかがわれます。
「安請け合いをしない」「できない約束はしない」が基本。できなければ「あの人のいうことは信用できない。」となる。慎重すぎるのも考えものですが、言葉を出す前に一度反芻するすることもありです。(メール)でも。
22日・孔子(論語)
『人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。』
自分をわかってもらえないことを嘆くより、自分が人を理解していないことを気にかけなさい。
解説;自分を理解してもらいたい、評価してもらいたい、という気持ちは誰にでもあり、2500年前の孔子の時代からそうだったことを考えるとそれは心理です。けれども評価してもらえないことに対する不満なら、減らすことができ、孔子が言うように、人を理解する、もしくはほめることを心がければいいのです。
周りの人をよくほめる人は、自分もほめられる人。自分が評価されないことを不満に思う人は、周りの人をあまり評価できていないのではないでしょうか?人をほめると、それが巡り巡って自分への褒め言葉として返ってくるのです。なぜなら、ほめられた人はほめてくれる人に好意を持ち、自分も相手を褒めようという気持ちになるのです。
今の日本では「ほめてもらいたい」需要が圧倒的に増えています。私は「ほめることこそ、社会を明るくする」と考えています。
お世辞は通用しませんので、相手の褒められたいポイントを見抜いて、そこをほめていく。すると、だんだん人を見る目も肥えてきて、ほめ方も的確になります。
ほめることで教養の幅が広がる:
例えば「自分には絵を見る目がない」と感じているとします。多くの場合、それは絵を知らないことから生じます。そこで美術館に行ってみて、見る絵を片っ端からほめてみる。するとだんだんに絵の良さがわかってくるのです。音楽でも文学でもなんでも、自分が苦手だったものに「ほめる」という視点を持つことで、見る目が育ちます。
23日・孔子(論語)
『其の以す所を視、其の由る所を観、其の安ずる所を察すれば、人焉んぞかくさんや、人焉んぞかくさんや』
その人がどう行動しているか、何を由りどころに生きているか、何に満足するか。この3点がわかれば、その人物の本質が、はっきりする。決して隠せるものではない。
解説;「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は「論語」を軸において多くの企業の経営に尽力した実業家として知られています。著作の中に「論語と算盤」があり「人物鑑識眼として非常に役立った」といっています。どういう経歴の持ち主か、何を拠りどころにしているか、何に満足するのか(自分の満足のために何を求めているのか)。その3点を観察すれば相手がどんな人物であるか自ずと露わになるというのです。(隠せない)
24日・孔子(論語)
『君子は周して比せず、小人は比して周せず。』
君子は幅広い人たちと親交をもち、限られた人とだけなれあうことはない。小人は狭い範囲でなれあい、広く人と親しもうとしない。
解説:なれあいのグループは周りの人たちを排除する傾向があって、世間が広がらない。孔子は「いろんな人と広く親しみなさい」といっています。会社というのも、そこにいる人間の総和が雰囲気をつくっています。そこに知り合いが多いと、自分のホームグラウンドのような居心地のいい空間になり、伸び伸びと仕事に取り組むことができます。
しかし、なれあいから進歩は生まれない。いつも同じメンバーとつるんでいるのは感心できない。また、SNSなどの繋がりもいいが、リアルに世間を広げていくことも望ましい。
25日・孔子
『利によりて行えば、怨み多し。』
自分の利益ばかり考えて行動していると、人から怨まれることが多くなる。
自分がトクをするかどうかを基準に行動する人は、隠しているつもりでも、意外と人に見られているものです。北野武さんは「お金の面だけはキレイにしなきゃダメだね」と行っていました。結果的に仲間を失うことにもなります。
なでしこジャパンは「勝つために泥臭く戦う」チームワークを優先し、自分の利益など眼中にない。日本は「論語」の精神が1番生きている国です。近ごろはその精神が薄れてきたとはいえ、歴史のなかで脈々と生き続けている論語精神もある。その1つが「自分の利益に寄らずに行動できること」です。
そういう日本的なチームワークの強さを、仕事でもはっきしていきたいところ。
26日・孔子
『束脩を行うより以上は、吾れ未だ嘗(かつ)て誨(おし)うること無くんばあらず。』
礼をもって教えを求める人には教えるよ
人に教えを求めるときは、最も軽い手みあげである乾し肉を十本くらいは持っていくべきだ。そういう最低限の礼を踏まえた者ならば、私はこれまで教えなかったことはない。
解説:身銭を切って教えを請う:孔子は何も手土産が欲しいのではなく、教えをもらう側として礼を尽くしなさい、ということです。当時はそれが束脩、乾し肉一束だったわけです。
上司か先生に何か教えてもらいに行くとき、相手の好きなお菓子やお酒などを持参する。あるいは飲みに誘って「今日は授業料ということで私に払わせてください」と申し出る。
こういった礼の尽くし方を覚えると、上との人間関係がよくなります。礼儀というのは相手への気遣いです。仕事だけではなく、パーティーに招かれたり、友人・知人の家を訪問したりする時も手土産を習慣とするといいでしょう。
27日・孔子
『我れ三人行えば必ず我が師を得。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。』
私は三人で行動をともにしたら、必ずそこに自分にとっての師を見つける。善い者からはその善いところをならい、悪い者については自分がそうならないように反省して修正する。我以外皆師なのである。
解説;優れた人からにも、そうでない人にも学ぶところがある。優れた人のいいところをマネするように努め、良くない人の悪いところは「反面教師」として「人のふり見て、わがふり直せ」で自分が失敗しないように注意・修正する。
人から何かを学ぶ時は、その人をトータルに見るのではなく、個々の部分や技術において自分より優れているか、劣っているかという視点を持つ。スポーツでも自分は総合的には優れているが、あの人のあのテクニックを学ぼう・盗もう、営業トークはこの人、飲み会の段取りはこの人、異性の友達を作るのがうまいのはこの人といった具合に。
28日・孔子
『其の位に在らざれば、其の政を謀(はか)らず。』
自分がその地位、役職にないのであれば、その仕事には口出ししないことだ。分限を守ることが大切である。
地位に応じた発言をする;その立場にならなければわからないことはあるものです。会社や上司の決定に対して不満があっても、孔子の言葉に従って「今の自分の立場で異を唱えてもしょうがない」と考えると、案外心が落ち着くのではないでしょうか。その決定を変えたいのであれば、自分がそのポジションに。
29日・孔子
有益な友と、有害な友。
『益者三友、損者三友。
直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多分を益とするは、益なり。
便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。』
有益な友に三種、有害な友に三種ある。
人間のまっすぐな<直>なる友、誠実な友、知識のある<多聞>の友は有益だ。
反対に、まっすぐものを言わないで追従する友、裏表があって誠実でない友、口ばかりうまい友は有害だ。
自分の成長の刺激剤になってくれる「向上心のある人」=「自分を成長させてくれる人」を友としたいもの。
友達付き合いに濃淡をつける。ゆるい関係の友達も切る必要はないけれど、「どういう人と付き合うと、自分は成長できるか」を考えながら新しい出会いを求めていく。その基準を孔子は示してくれている。また、経験値の高い年上の人に学ぼう。
30日・孔子
『徳は孤ならず、必ず隣(となり)あり』
<徳>にはいろいろあるが、ばらばらに孤立してはいない。一つを身につければ、必ず隣り合わせにある徳もついてくる。徳のある人は孤立せず、その人を慕って人が集まる。
立派な人物の持つ徳として孔子は『仁・義・礼・智』を上げています。
女性というのは、包容力や柔軟性、上手に話を聞いてくれたり、受け流してくれる人を求めています。男性にとって女性は、人間関係の最高の練習メニューです。
モテるというのは、1つの社会力です。経済力だけではなく、直接の「対人間」能力なのです。一人の男性が、一人の女性に対して熟達したとします。この1人を突破できると、必ず隣がついてきます。まず、一人とガッチリ向き合うことで、思わぬ力がついてきます。これも一種の徳で「優しさ」「段取り力」「気配り」「包容力」といったことでしょう。「アンナ・カレリーナ」を読むと、女性には非常に不安定な部分があることがわかる。
「経験によってモテていく」というのが、男性の正しいモテ方だと思います。「経験値=ホルモン』です。
”芋ずる式に”人間性を身につける。
まずは「礼を身につけよう」と思って、挨拶をきちんとすることを心がけたとします。そこから人間性の良さが広がっていったりします。
勉強も有効な手段;正しい善悪の判断力、「勇」や正義感の「義」などの徳がくっついてきます。また、人間に対する深い洞察力が生まれ、優しさにつながっていけば「仁」が身につきます。つまり勉強は、知力と同時に人間性をも磨くものなのです。
コミュニケーション力は人間性の一部;「人と話すとき、少しテンションを上げてみよう。声のトーンをちょっと高めにして、明るい表情を心がけよう」と意識するそれだけで人と接する際の妙な構えがとれます。自分だけではなく相手も、心を開いてくれます。結果、異性とも気軽に喋れるようになったり、気の利いたジョークの1つも言えるようになったり、相手の気持ちになって行動できたり、いろんな”副産物効果”が得られるはずです。
また、30歳が見えてきたら、なれあいの付き合いはいったん脇に置いて、家庭を形成し、仕事、プロ意識でつながるという形で「自分の隣にいる人」をつくるよう努めていきたいものです。
31日・孔子
『冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説ばざるにはあらず、力足らざればなり、
子曰わく、力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画(かぎ)れり』
冉求が「先生の道を学ぶことは幸せに思っています。ただ、いかんせん私の力が足りず、なかなか身につけるに至りません。と言うと、先生はこう言われた。
「本当に力が足りない者は、やれるだけやって途中で力尽きて止めることになるはずだ。しかし、お前はまだ全力を尽くしていない。今お前は、自分で自分の限界をあらかじめ設定して、やらない言い訳をしている。」
40代は、30代で思い切りがんばった余力で、加速していく時代と言えます。30代は自分が全力を尽くしたら、どこまで成長できるか知るためにも、限界に挑戦する意味があります。自分で自分の限界を設定してしまうことで、成長のチャンスを逃してしまうから。
➡️成長マインドセットに切り替えよう。