【環境デザイン研究所】チラボン
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2021年・365日、日めくり【今日の名言・格言】5月は渋沢栄一さん

今日の渋沢栄一の名言

偉人、成功者、陰の功労者と言われる人々の残した言葉には人生の教訓、エッセンスがギュッと詰め込まれているように感じ、心の琴線に触れることでしょう。

そんな世界中の方の『言霊』に簡単に触れられる有り難さ。

 

毎朝一つ、3分、世界の(人生の)成功者の言葉にふれよう。

”明日、死ぬかのように生きよ。

     永遠に生きるかのようにまなべ。”

(インド独立の父 マハトマ・ガンジー / 1869-1948) Wikipedia

365日、日めくり[今日の名言・格言] 5月 渋沢栄一

教育の理想を説いた教え

13日 鉢植えの木のような人を育てる教育

現今の教育は、修学の順序といい、教育の仕方といい、
至極緻密であるが、成業の人を視ると鉢植えの樹木を見るように、
枝ぶりは好いがとかく小規模で、
ただ小利のみに走るという弊が見える。

決められた枠の中で育てるような昨今の教育は、鉢植えで育った木のようで、
枝ぶりなどの外見はよくても、
実際にはスケールが小さく、目先の欲に走る欠点がある。

人としてスケールの大きな人間に育って欲しい。
限りない好奇心、自信、心からの思いやり、疲れを知らない行動力。。。。
それら、子供が本来持っているたくさんの美徳を、思いのママにすくすく伸ばしてやりたいもの。。

14日 学問の食傷

むやみに学科ばかり詰め込めば、
学問の食傷を起こす。

ただ、知識を詰め込むだけの教育では、
子供たちは、學ことが嫌いになってしまう。

学ぶということは、とても喜ばしく、楽しいことである。

疑問と好奇心
好奇心がなければ、何かを知ることの喜びもありません。
新しいことを知ったときの、あの新鮮な驚きと喜び。

本来、学ぶことは楽しく心踊る営みであるはずです。
学ぶことの喜び、ときめきを、もっとじっくりと、子供たちに味あわせてあげたいものです。

15日 真の智者、真の仁者

真の智者には、動中おのずから静があり、
真の仁者には、静中おのずから動がある。

本当に賢い人は、行動しながらも、客観的に冷静に考えを巡らせでいる。
本当に思いやりのある人は、だた黙っているようでも、自然に相手のために何か行動に移しているものである。

16日 学び、不安を解消する

神経的のくだらぬ心配は健康上大害がある。
これを除くには学問を立脚地として、
精神修養の功を積むほかはない。

無駄な心配=マイナス思考を脱却する方法
(取りかかる前からわかりもしないのに有る事無い事考えて心配してしまうもの)
それはただ1つ。

学び、精進し(行動)、精神力を高めること。

まず学び、不安や疑問点をできるだけ無くし、
それをコツコツと実行する。

知識を増やし、経験を積めば、失敗も減ります。
失敗を恐れなくなれば、無駄な心配もなくなり、前向きな気持ちで物事に臨めるはずです。
※現代は、誰もが情報を発信する時代で、情報が錯綜している。だから正しい情報というものを見分けることも重要となる。正しい情報にアクセスする見識も必要となる。

確かな知識を得、心配を無くし、そして果敢に何かに挑戦していけば、さらに心は強く、たくましくなることでしょう。

実学は、学び、アウトプットをすることがセット
アウトプットは、情報を整理し発信し、自ら実践すること。そしてまた発信する(人に教える)

恐れや心配を糧に、学びに変える

家族と幸せになるための教え

17日

とにかく優秀の人材は、
その家庭において賢明なる母親に
撫育(ぶいく)された例は非常に多い。

優秀な人物というものは、
多くは家庭で賢い母親に
育てられるケースが非常に多い。

撫育・・・かわいがって、大切に育てること。
常に気を配り、大切に育てること。愛し養うこと。

18日 悪い習慣

浸潤は、実に恐ろしいものである。
一旦染み込んだら
容易に除き去れるものではない。

思想や習慣が身に染み付いてしまうというのは、本当に恐ろしいことだ。
一度染み付いたものは、簡単には消せないのだから。

悪いものが身につかないように、習慣を恐れ大切にしよう。

6月4日 親孝行は、親が自然と子どもにさせるものである。

孝行は親がさしてくれて初めて子ができるもので
子が孝行するのでは無く、
親が子に孝をさせるのである。

親孝行とは、親にそれを受ける気持ちがなければ、
子供だけがやろうとしても、できるものではない。
子供が親孝行をするのではなく、
親が自然と、子供にさせるのである。

子どもが自分の思い通りにならないことが「親不孝者」ではない。
親の言うことをただ黙って聞いていても、それは親孝行というわけでもない。

親が子どもに、一方的に孝行を要求せず、寛大な心で子どもの思うままの志に向かわせてやれば、子どもは自然と親に感謝し、孝行を尽くすはずです。

5日 信念と思いやり。

信には義が伴わねばならず、
義には信が伴わねばならぬ。

自分の信念を通すには、人への仁義を持たねばならず、
仁義を尽くすには、信念がなければできない。

信とは本来、人の言葉に寄せられるもので、そこに嘘があってはいけません。

信と義は、人が正しく道を進もうとするときの、車の両輪のようなものです。

やっていないことを「やった」と言ったり、してしまったことを「やっていない」と言ったり、
幼い心に、こんな悪知恵が育たないよう、嘘をつかないこと、約束を守ること。

6日

小事かえって大事となり、
大事案外小事となる場合もある。

「くだらない」「小さなこと」と軽んじていたことが、
意外な大ごとを引き起こすこともあり、
「大ごとだ」と身構えていたことが、
意外に大したことなく過ぎ去ることもある。

7日 あなたの習慣は周囲に影響を与えている

また習慣は唯一人の身体のみに付随しているもので無く、
他人に感染するもので、
ややもすれば人は他人の習慣を模倣したがる。

習慣とは、日々重ねていくことで、その人の固有の特質になっていくものです。
そしてそれは周りの人にも影響を与えます。
人間とは、他人の習慣を真似したがるものなのである。

人と人の関係を楽しくする教え

8日 人物の観察法 行為、動機、何に満足するか?

視、観、察の3つを以て
人を識別せねばならぬ。

人の本心や人物の本質を見抜くには・・・

「視る」というのは、【外見】の立ち居振る舞いから、→ 行為がわかる (肉眼)
(外部に現れた行為で良し悪しを判断する)

「観」というのは、発言や行動・表情などから → 動機がわかる    (心眼)
【どんな動機によってその人は行動しているかをじっくり観察する】

「察する」というのは、→ その人が何を望み、どうすればう喜び満足するか?
さらに【その人がどんな時に心が安らいだり、何に満足しているのだろうか?】と観察してみる。

論語
「その人の振る舞いを見て、なぜそんなことをするのかを考え、どうすればその人が満足するかを観察すれば、人間性というものがわかるものだ」という一説がある。

言志四録では、「第一印象」で、初めて会った時によくその人を見れば、さほど間違うことはないと記している。
孟子は人物観察法を「目を見る」のが良いと説いている。正しい心を持った人は目が澄んでいる。よからぬことを企んでいる人は目が濁っているものだと。

だが、本当に人を知ろうとするなら「論語」がいいと思う。

こうすることで必ず、隠そうとしていることもひっくるめて、その人物が明らかになる。

いかに外に現われる行いが正しいようでも、動機が正しくなければ、その人は決して正しい人とは言えない。

だから、行為→動機→何に満足するか? の3点を観察すること。

9日 人と会うことは学び、いつになっても 勉強の心と進歩を求めよう

老年となく青年となく、勉強の心を失って終えば、
その人は到底進歩発達するものではない。

いかに多数でも時間の許す限り、
たいていは面会することにしている。

10日

志がいかに善良で、忠恕の道に適っていても、
その所作がこれに伴わなければ、
世の信用を受けることができぬわけである。

どんなに素晴らしい志があり、
思いやりの心を持っていても、
それに従った行動ができなければ、
世間の誰にも信用されるはずがない。

善意や新設は、行動で示して初めて意味を持つ

11日

末期における教訓が尊いというよりは、
むしろ生前の行為こそ真に崇敬すべき。

人が死ぬときに残した教えが大事なのではない。
生きている間に何をしたかが、本当に大切なのである。

12日

いかに忙しい時とても、仕事を考えながら人と談話し、
談話しながら事務上に心を配るなどは、
過誤を招く所以である。

大きな誤解や失敗を招くもとである。

目が回るほど忙しいというのは言い訳にはなりません。
そんな状況を避けましょう。 いつでも時間に余裕を持つように
忙しいを言い訳にするな。

今に集中しよう『イマココ』

13日

一人の楽しみは、
決してその人限りに止まらず、
必ず広く他に及ぶ。

毎日を生き生きと過ごし、ワクワクする気持ちを忘れずに、人生を楽しみたいもの。

24日

およそ信用は絶対的なものである
一本のマッチ、一個の吸い殻からも
大火の起こることがある。

ほんの小さなミスで、信用が全て台無しになることがある。