今日の渋沢栄一の名言
偉人、成功者、陰の功労者と言われる人々の残した言葉には人生の教訓、エッセンスがギュッと詰め込まれているように感じ、心の琴線に触れることでしょう。
そんな世界中の方の『言霊』に簡単に触れられる有り難さ。
毎朝一つ、3分、世界の(人生の)成功者の言葉にふれよう。
”明日、死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのようにまなべ。”

(インド独立の父 マハトマ・ガンジー / 1869-1948) Wikipedia
365日、日めくり[今日の名言・格言] 4月 渋沢栄一
行いを研ぎすますための教え
1日 熟慮するときと、ただちに行動に移すとき
すべての世の中の事は、三思してもなお足らず、
十思百慮を要することもあれば、また再思の要だになく、
ただちに実行せねばならない事もある。
世の中には、3度考えてもまだ足りず、10度、100度と考えなければならない事もある
その一方で、2度考える必要などなく、今すぐ実行しなければならないこともある。
2日 道
道は誰にも行い得られるものである。
人にはみな、道を行うに足るだけの力がある。
ただその力と道とに大小の差があるに過ぎぬ。
道は誰の前にも拓けている。人は皆、その道を歩く力がある。
ただ、その”力”と”道”の大きさ、強さが、一人ひとり、違っているに過ぎない。
道とは・・・おそらく人の道(人としての道)=より良く生きることと同義だと思う。
人それぞれルートは違えど、向かう先は同じなのかもしれない。(私の意見)
3日 理想と日々新たに
人は死ぬまで同じことをするものではない。
理想に由って生きるのが、
趣味ある人の行動である。
人はただ、死ぬまで同じ日々の繰り返しを過ごしていればいい、というものではない。
自らの理想に従って生きることが、
物事の味わいがわかる人の生き方である。
人はいつか、この世を去ります。
この世という大きな潮流の中の一瞬のまたたき、それが私たち人間であります。
しかし、それでも私たちにとって、人生はたった1つしかない大切な物語です。
ならば、死ぬまで同じページを読み返すなんてもったいないじゃありませんか。
それぞれの理想に基づいて行動し、生きていると、いろいろな事件や困難に出くわします。
でもそれこそが、本当の味わいある人生でしょう。
イノベーション(革新)とは「変化を創ること」です。
変化を恐れ、避けるのであれば、その人からイノベーションが生まれるはずがありません。
「理想に向かって変化する」とはすなわち「進化する」ことです。
コヴィー氏がいう「刃を研ぐ」と通じる。 日々新たに。 変化も恐れるな
それに喜びを感じて、生きていきましょう!
規律を学ぶための教え
4日 礼儀ってなんだろう??
礼儀ほど美しいものはない。
礼儀とは、人の持てる最高の美徳である。
礼儀って何だろう?? それは相手に対するリスペクト(敬意)の思いだと思う。
礼儀とは「自信」と「相手への敬意」の表れ
もしもあなたが「どう比べても、この人は自分よりはるかに偉い」と思っている人から礼を尽くされたら、「素晴らしい人だ」と感激するでしょう。
本当の意味で「礼を尽くせる」ということは、本当の意味で「自分自身に自信を持っている」ということでもあります。
例えば、意見が対立しても、相手の言い分をきちんと尊重することができます。
自信は持ちながらも、礼儀を尽くして、美しい人になりたいもの・・・・。
その根源には生命に対する慈悲の念に気づくことができれば、生まれてくるものではないだろうか。コンパッション 自分に対して 他の人に対して 生命に対して、、、、。
どんどん広げていきたいもの・・・・。
礼儀ほど美しいものはない。 渋沢栄一
5日 当たり前だが、自分で箸を持て
かくお膳立てをして待っているのだが、
これを食べるか否かは箸を取る人のいかんにあるので、
御馳走の献立をした上に、それを養ってやるほど
先輩や世の中というものは暇でない。
仕事でも同じこと。先輩や周囲がある程度までは地固めをしてくれるかもしれませんが、そこから先は、自分でやらなければなりません。
箸は、自らの手で取らなければダメなのです。
6日 元気
人と争って自分が間違っておっても強情を張り通す、
これが元気がよいと思ったら大間違いである。
元気がある、威勢がいい、覇気があるーーー。
これは、人生をよく生きるために、大切なことです。
けれど、その意味はしばしば誤解されがちです。
自分の力で果敢に行動し、自分の信念や理想を実現する。
あるいは、自分をより高めようと、ひたすら努力する。
つまり、自分自身の品位を保ち、高める情熱、それが”元気”というものでしょう。
7日 自立、自活の精神は人への思いやりと、人生の根本となる
およそ人は自主独立すべきものである。
すなわち自営自活の精神は、
実に同胞相愛の至情とともに、人生の根本をなすものである。
人は皆、自立して生きるべきものである。
自立し、自活しようとする心こそが、人への思いやりとともに、
人生の基盤となるものなのだ。
弱者や敗者であっても、自分の人生を主役として生きる、義務も権利も持っている。
彼らを永遠に保護することにより、彼らが自立できるような支援が必要です。
自立を助ける精神こそが、お互いを尊重し、真心を持って向き合う心に他ならない。
8日 武士道の粋
東洋、特に日本では、陰徳を持って行いの上なるものとし、
自分の責任はもちろん、
他人の責任までも、これを負うをもって、
武士道の粋としている。
東洋的、特に日本においては、陰徳=「善いことをするときは、人知れずなすこと」こそ素晴らしいとされ、自分の責任はもちろん、他人の失敗の責任までも被ることが、
武士道の真髄であるとされている。
日本古来の考え方によれば、自分がした「よいこと」を口に出したり、人に知られたりするのは、「奥ゆかしくない」とされます。
正しいと信じたことは、何があっても、勇気をもって行う、
そこに「武士道の本当の美しさがある」はずです。 ーー渋沢健
9日 習慣に注意しよう
要するに習慣というものは、
善くもなり、悪くもなるから、
別して注意しなければならない。
習慣というものは
いい習慣(精進)というのは人を善くし、悪い習慣は人を悪くするものだから
注意して両者を分ける必要がある。
自分の習慣をチェックし、習慣を今一度設計し直し、自分の人生をデザインしませんか??
10日 口は幸運の門でもある。
口舌は実に禍の起る門でもあるが、
また福祉の生ずる門でもある。
口から出る言葉は災いのもとにもなるが、
また幸運を呼び寄せることもある。
「口は禍の門」と言われ、知らず知らずのうちに言い過ぎたり、その言葉がもとで、人に足元をすくわれたり、笑われたりするかもしれません。「ここだけの話」がいつの間にか広がったり、、、
どのような状況に置かれても、言葉を口にする以上は、心にもないことは言わないほうがよいでしょう。
でも、じっと口を閉じたままでいる。 これはどうでしょう???
・・・・・それでは、幸運の門まで閉じてしまうことになります。
言葉を上手に使えば、福を呼べるのです。
しゃべり過ぎはもちろん感心しませんが、無言もまた、いいことではないのです。
11日 走り出す前に考えよ
むやみに頭を突き出して駆ければ、
すなわち衝突、顛倒をまぬがれぬ。
やみくもに、何にでも頭から突進していけば、
必ず衝突や何らかのトラブルに遭うものだ。
豬突猛進、頭から突っ込んでいく、意気込むあまり、イケイケドンドン。
無茶な行動や、本質から外れた行動を取っていることがあります。
だからと言って、走ることに消極的になる必要はありませんが、
しっかりとした考えと志を持って走るべきでしょう。
運のつかみ方を知るための教え
12日 奮励しているか?
自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、
大概は その意のごとくになるものである。
しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、
かえって手前の方から佞(ねじ)けた人となって
逆境を招くようなことをしてしまう。
佞ケル・・・おもねる、よこしま
自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、
大概は その意のごとくになるものである。
しかし大概の人は、そうやって幸せになる努力をせずに、
その手前から曲がったようになり
どんどん苦しい状況に陥ってしまうのだ。
素直に望めば、運命は拓ける
13日 わたくしを磨こう!
されば孔子が曰れた「罪を天に獲る」とは、
無理な真似をして不自然の行動に出ずる
という意味であろうかと思う。
「本来の自分にそぐわない行動をとったり、無謀な野望を抱いたりしても、うまくはいかない」という意味だろうと思う。
「罪を天に獲る」=(天罰)
「無理な真似をして、不自然な行動に出ずる」 とは、、、、
私は私であり、他の人にはなれない。 あの人のようになりたいと思うと人は不幸になるという研究結果もある。 私を高めるのではなく、あの人のようになりたい(無理な真似)と思って行動していると、自分が惨めに思えて、肯定的に捉えられなくなってしまいがちだ。
あの人のようになりたいと思っているうちは大概、あの人の名声、賞賛、名誉、経済的なもの、容赦などを求めてはいないだろうか。
「そうなると無理な真似をして、不自然な行動となる そうなると物事はうまくは進まない。それが天から罰を受ける」ということではないだろうか。 私見
だから、あの人を見習い、あの人になるのではなく、この私を高めていくことに日々精進しよう。 このわたくしは、日々の行いで高めていくことができる。
正しい努力、正しい習慣を身につけていくように、ひと飛びにはいかない。一歩一歩、改善を加えながら洗練されたものにしていこう。
具体的な行動をあげるとしたら、「読書」「運動」「瞑想」があげられる。これを習慣化してみよう。そしてそれらの中身(時間帯、時間、強度、方法、どのような、選択)を学習と実験を繰り返しながら、より良いものに洗練させていくのだ。
また、読書(良い情報)を通じで学び、生活の質(食事・睡眠・学習・人間関係・笑い・コミュニケーション)を改善し、自分を日々新たに高めていくのだ
私の身の丈を外した行動は「山を買って、ユンボ、ユニック」を買うことだった。衝動的になり、人からどう見られるかという感情もあったかも知れない。「盗難」あれは天からの罰だったかも知れない。そのおかげで、本当の自分自身を見直すきっかけとなった。求めていたものは何か、本来の自分は? 一歩一歩進めている気がする。
「身の丈を知る」などということではなく、わたくしを磨く、あとは天命に任す。なるようになる。
14日 運のいい、悪いは自らがつくりだす。
世の人は、一も二もなく彼を順境の人と思うであろうが、
実は順境でも逆境でもなく、
その人自らの力でそういう境遇を作り出したに過ぎない。
人生の運(順境も逆境も)は、すべて自分で招いた結果だ。
順境と逆境は現代で言えば、運のいい人、運の悪い人と言い換えることができる。
運のいい人、順境であれる人
能力があり、身体も健康、どんなことを任せても、安心できる仕事をする、いや、期待以上の仕事をすることもしばしば。やがてこの人物は地位も富も手に入れます。
世間は「運のいい人」だと言うでしょう。
しかし彼は、自らそうなるように努力しただけです。
苦労が多い逆境の人
被害者意識、悲観的、自暴自棄
全部、自分で招いた結果です。
人は自らの運命を作り出します。
15日 自分に満足することなく
すべて世の中の事は、
もうこれで満足だという時は、
すなわち衰える時である。
人には優越性の追求、今の自分より向上したいと思う気持ちがありがたいことに備わっている。それを生が尽きるまで求めることができる。
これが幸福なことではないだろうか?
今日の自分より明日の自分を成長させていくことに集中しよう。
16日 人の隠された素晴らしい才能
人の幸福は自己の才識、勉強によってのみ
発展すると思うは、大いなる誤解である。
人の幸福というのは、自分の持っているものや知識、勉強によってのみ得られるものではないですよ。
人の幸せは、本人の才能や努力だけで叶えられる、と信じるのは、大間違いである。
「幸せになりたい」と願うとき、それには、自分のために仕事や勉強をがんばればいい、と思っていませんか? それだけではありません。
他を幸せにすることで、自分が幸せになれる。実は人はそんな素晴らしい才能を秘めているのです。
逆に言うと、自分のための努力だけでは、人は幸福になれない、ということでもある。
17日 目的通りにいかない時は、それはまだ忍耐すべき時
よく事を通じて、勤勉であっても、目的通りに事の運ばぬばあいがある。
これはその機のいまだ熟せず、その時のいまだ到らぬのであるから、
ますます勇気を鼓して忍耐しなければならない。
目的通りにいかない時は、それはまだ忍耐すべき時。このYouTubeもそうである。思ったとうりにいかない時にコツコツと勇気を持って耐え、続ける時である。
どんなに物事を知り、勤勉に努力をしても、目指した通りにならない時がある。
それはただタイミングが悪く、好機が訪れていないだけのこと。
さらなる勇気を出して耐え忍ぼう。
成功するには「タイミングを待つこと」も必要
物事には、タイミングというものがあります。
これ以上ないほど努力しても、タイミングが合わずに成果が得られないこともあれば、新しい仕事を始めた途端、チャンスに恵まれて、たちまち成功することもあるでしょう。
これはすべて天運、つまりタイミングのなせる悪戯です。
ただ、タイミングが合わないからといって、努力を放棄してしまってはいけません。
「今はたまたま、時期が悪いだけ」
このように柔軟に考えて、忍耐強く事に接すれば、いずれチャンスは訪れてきます。
そしてタイミングさえ合えば、不思議とうまく運んでしまうものなのです。
苦しい中でもがんばってきた人や会社には、そろそろチャンスが回ってくるかもしれませんよ。
18日 信念を持ち、自分の力量を正確に把握せよ。
世に成功熱に浮かされ、野猪的に進むものが多いが、
その多く失敗に終わるのは、身のほどを知らぬからである。
「成功したい」という野望にとりつかれ、熱に羽化されたように突き進む人は多いが、
その多くは失敗する。それは自分の現在の能力を正しく知らないためである。
19日 丸いばかりでは、いけない。
人間はいかに丸くとも、
どこかに角がなければならぬもので、古歌にもあるごとく、
あまり丸いとかえって転びうやすいことになる。
とにかく争いは嫌だと、いつも衝突を避けて、のではいけません。
普段は丸くても、
自分が「これ」と決めた信念を貫き通す鋭い一面も持っていたいものです。
丸くて温厚な人柄はいいものだが、どこかに尖っている部分がほしい。
昔の歌にあるように、ただ丸いばかりだと、
コロコロと転がさやすくなってしまう。
20日 習慣は根っこである
多くの葉を摘まんと思えば、
その枝を繁茂させなければならない。
その枝を繁茂させようと思えば、
その根を培養せねばならない。
なるべく多くの成果を得たいと思うなら、そこに至る過程をしっかりと築かなければならない。
過程をしっかり築こうと思うなら、そのための基礎を固めなければならない。
基礎とは何か
やはりこの基礎というものが『習慣』というものに他ならないと思う。私はこう受け止めた
人生をより良いものにしたいと望むなら、日々何気なくやっている習慣を見直すのだ。
だから、今一度、習慣をデザインし、学習し、だんだんと洗練させていき、
日々の本質的なことを当たり前に積み重ねるようにデザインしていこう。
多くの葉を摘まんと思えば、見えないところでの地道で着実な努力が必要なのです。
教育の理想を説いた教え
信頼される
信頼されることは、愛されることよりも素晴らしいことである。
〜スティーブン・R・コヴィー
21日 本当の常識というもの
『智』『情』『意』の三者が各々権衡を保ち、
平等に発達したものが完全の常識であろう。
権衡(けんこう)=つりあい。均衡
知恵、情愛、そして意思、、、、
この3つをバランスよく育て、備えていること、
それが「完全な常識がある」ということである。
知恵も情がなければ、悪知恵となってしまいます。
この知恵の極端な動きを調整するのが、情です。
けれどもこの情愛も、行き過ぎると判断力が鈍ります。
正しく判断する力い意思力も必要です。
つまり、智、情、意、どれが強すぎても、弱くても、正しい判断はできません。
3つのバランスがとれてこそ、常識的になれるのです。
これが本当の常識というものです。
22日 長所を伸ばす努力をすれば、短所は自然に消えるもの
長所はこれを発揮するに努力すれば、
短所は自然に消滅する。
現代の「短所を直す教育」の風潮はいかがなものか?
現在の教育や躾の方法は、短所を指摘して正すことが基本方針のようになっていませんか?
「定められた枠」にはめようとする。
確かに、指導者の視点から見れば、この方針の法が楽でしょう。誰でも同じ型にはめればいいのですから。
逆に長所を見つけて伸ばすことは難しい。一人ひとりの個性を見極めて、的確に個別の指導をしなければいけないのですから。
しかし、もし長所を見つけて、伸ばしてもらえたなら、その子ども、学生、部下にとっては、必ずそれが一生の宝物になるのです。
23日 「近頃の若いものは・・・」と言うのはいかがなものか。
今の青年の中にも偉いものもあれば、
昔の青年にも偉くないものもあった。
現代にも、見どころのある青年はいる。
逆に昔だって、どうしようもない青年はいた。
「この頃の若いものは・・・・・」と年長者がいうことがありますが、、、
今の時代にも、昔の時代にも、偉い人もいればそうでない人もいるものである。
24日 受け身の姿勢では好機を逃す。
教育のやり方を見ると(中略)単に知識を授けるということのみ重きを置き過ぎている
(中略)実業の方では、軍事上の事務のように一々上官の命令を待っているようでは、
とかく好機を逸し易い。
最近の教育は一方的に知識を与えることを重視しがちだが、実際のビジネスおいては、いちいち与えられる指示を待っていては、チャンスを逃してしまう。
今の教育のあり方。
どうしても、与えられるもののように、受け身の姿勢となりやすい仕組みとなってしまっている。
本来、学習というのは、楽しいもの、なくてはならないもの、生きていく上で必要なもの、自分を高めてくれるものである。
そのシステムは受動的な人をつくってしまい、与えられる指示を待ってしまいがちだ。
だがそれでは、好機を逃してしまいがちである。
好機・チャンスというのはそんなタイミングの問題でもある。
25日 老齢になっても精神を衰弱しない秘訣は学問である。
しかして文明の老人たるには、
身体はたとい衰弱するとしても、
精神が衰弱せぬようにしたい、
精神を衰弱せぬようにするは学問によるほかはない。
老いてますます、学問をしよう。
26日 教室は寄席ではない
私が聞き及ぶ東京の中辺の学校においては、(中略)
ほとんど師と弟子とが、悪い例を言うならば、
寄席に出る落語を聴きに往った
多数の聴衆のごとく見受けられる。
生徒や学生たちがよく「あの人の講義は面白くない」とか、「あの先生の話は長い」とか、教師の悪いところを指摘しては、批評することは、落語を聴きに行った客が、噺家を品評したり、くさしたりするのに似ています。
だたし、教師が悪い場合もあり、教師の徳望、才能、学識、人格が優れていなければ、学生たちがロールモデルとして尊敬することはない。
人を指導する者は、自分自身を自ら改善し、また、相手を十分に敬う心を持って、情愛深く、目下のものを導かなければなりません。
そうすれば相手も、きっと目上の者を尊敬するでしょう。
27日 時代は変化し、新しい人が必要になる
新しき時代には新しき人物を養成して
新しき事物を処理せねばならない。
時代が変われば、求められる人も変わる。
時代に合った人材を育て、事に当たらせることが必要だ。
社会は常に変化し、進化し続けています。
昨日には想像もつかなかった出来事が、今日は当たり前のようになったりします。
そんな時、昨日までの常識では、対処しきれないこともあります。
新しい時代には、新しい方法で行動できる、新しい人間が必要なのです。
そしてこの『新しい人』が、時代のイノベーションを引き起こすのです。